元々ストーブを作っていた会社だった故に、航空機事業を始めた後も湯沸かし器やオーブン等の家電も作っていたようです。
写真真ん中に見える筒状のものはボイラー装置&シャワーです。燃料は薪。下から火を焚いて湯を沸かしていたのかな。
筒状の装置の横にあったこのボール状のもの。これは一体なんでしょうか・・・。
Kugelwaschmaschine。球状洗濯機でした。1920年に製造されたものだそうです。
洗濯できる衣類の容量は4キロ。25リットルの熱湯で洗うことが出来たそうです。
元々ストーブを作っていた会社だった故に、航空機事業を始めた後も湯沸かし器やオーブン等の家電も作っていたようです。
写真真ん中に見える筒状のものはボイラー装置&シャワーです。燃料は薪。下から火を焚いて湯を沸かしていたのかな。
筒状の装置の横にあったこのボール状のもの。これは一体なんでしょうか・・・。
Kugelwaschmaschine。球状洗濯機でした。1920年に製造されたものだそうです。
洗濯できる衣類の容量は4キロ。25リットルの熱湯で洗うことが出来たそうです。
格好いい航空機を目の当たりにして、友人と私は童心に返ってキャッキャ喜んでいました。
足下がだんだん冷えてきたので(新雪の上を歩いたため、靴がグショグショ)、博物館の中に入ることにしました。
入場券は一人3ユーロ。割引で半額になりました。これに写真撮影料として別途2ユーロ取られました。
建物の中央に思いっきり羽を伸して鎮座しているのはJu52というユンカース社を代表する航空機でした。
初飛行は1930年。30年代にはルフトハンザの主力旅客機として大活躍したそうです。
エンジンはBMW製。BMWは今日自動車メーカーとして有名ですが、元々は航空機エンジンメーカーでした。
ちょいと見えにくいですが、BMW社のマークが付いています。
ジュラルミン製の翼。金属板は波打っています。ユンカースが得意とした構造なのだとか。
中にはいることも出来ました。傾いていて怖かったけど・・・。何人ぐらい乗れたのかな。
コックピット。
マリエン教会の後ろには城跡があります。そこは1918年まで存在したアンハルト公国の居城でしたが、
第二次大戦の空襲で殆ど破壊されてしまいました。部分的に残った建物は、市の歴史博物館として利用されています。
その歴史博物館にいくというプランもあったのですが、入場料が高かったのでパスすることに。3ユーロはちと高い。
そもそもなぜデッサウは第二次世界大戦時に空襲の標的にされたのか。
日本でもそうでしたが、ある町が空襲の標的にされた理由の一つとして軍需工場の存在をあげることができます。
例えば私の故郷である大阪には、大阪城の東側一帯に東洋一と謳われた砲兵工廠がありました。
その他の町でも、軍需工場がある地域は徹底的に空襲で破壊されたそうです。
ではデッサウにはどの様な重要軍事関連施設があったのか。
デッサウにはフーゴー・ユンカース(1859-1935)が設立した航空機・エンジンメーカーであるユンカースの工場がありました。
ストーブ作りから出発したこの会社は、その後ディーゼルエンジンを制作し、20世紀初頭に飛行機を作りを始めます。
しかしフーゴー・ユンカースは航空機作りだけでなく独自の航空会社を作ろうという計画をも持っていたようで、
それはJunkers-Luftverkehl-AGという航空会社設立によって実現されます。
そしてJunkers-Luftverkehl-AGは その堅牢性と安定性故に、20世紀初頭における世界最大の航空会社になりました。
後にドイツにもう一つあった航空会社Aero Lloydと経営統合し、今日のルフトハンザドイツ航空が出来ました。
ユンカースは旅客機だけでなく戦時中にはドイツ空軍に軍用機も供給しました。
その殆どがデッサウの工場で作られたので、大戦中に空襲の標的とされ、工場の殆どは破壊されてしまいました。
市立歴史博物館を後にした私と友人は、このユンカース博物館(Techinikmuseum Fugo Junkers)を訪れることにしました。
町の中心部から結構離れたところにあり、路面電車とバスを乗り継いでひたすら西へ西へと向かいました。
しかし、乗ったバスが博物館近くの停留所に止まらないバスだったので、博物館前までは徒歩での移動となりました。
足下は深い雪。そして吹雪。このまま遭難してしまうんじゃないかなーって思うような状況で2キロぐらい歩いたら、
ようやく博物館の入口を示す看板(写真)が見えてきました。