2010年10月31日日曜日

マルクト教会の裏通り


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秋風が吹くHallmarkt


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土曜日のことですが・・・


先週末は激しい頭痛に襲われて、殆ど活動停止状態でした。
土曜日、天気がよかったのと、マルクトでお祭りが催されているのを町のHPのWebカメラで知ったので、
頭痛が少しおさまってから出掛けてみることにしました。


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沢山屋台が出ており、結構賑わっていました。私が訪れた時は空が曇り始めたので、人は少なめでした。
Lichterfestというもので、毎年10月末に開かれているものらしい。んー、そんなのあったかな。あまり気にしてこなかったかも。



Exa 1aも持ってきていたので、写真を撮りながら付近を散策してみました。
あ、Exa でとった写真はまだ公開できませーん。

2010年10月26日火曜日

第三関門突破 なのか?


今日、口述試験がありました。ドイツ語でRigorosumと呼ばれるものです。

最終の公開議論(Verteidigung)を開くための条件として付与されたもので、主に基礎知識が問われます。



約一ヶ月前に日程、時間、そしてテーマが決まり、 今日に向けてせっせと準備をしてきました。
テーマを事前に取り決めることができるというのは普通の試験形式と違いラッキーなことなのですが、
私の周りにこういう試験を受けた人が皆無故、どんな形式でおこなわれるか等の詳しい情報は全く不明でした。
教授も「あ、基礎的なこと勉強しといてね」としか仰らなかったし・・・。



論文は何とか完成させることができても、その後の試験のことがずっと気掛かりでした。存在自体が不気味。
論文完成&提出を第一関門、学部会議での審査委員立ち上げが第二関門とすれば、この試験は第三関門かな。
そう、学部会議での審査委員が立ち上げられるかどうかも結構冷や冷やさせられるのです。
論文が完成してても、それと一緒に出さねばならない計7種類の書類に不備があったり、
これまでの経歴(特に成績やら単位等)から審査資格すらないと判断されたらその時点でアウト。
あ、審査委員会立ち上げの結果は今月半ばに無事届いています。一安心。

そして謎の第三関門です。



試験は午後2時から3時までの1時間。会場は教授の個人研究室。
試験記録をとらねばならず、研究室の女性アシスタントが立ち会ってくださいました。
円卓を3人で囲む形で、定刻よりやや遅れて試験は始まりました。


テーマは三種類。全般的に教授の専門分野に偏っています。試験準備の際、教授の専門分野については、
基礎よりももう少し深く勉強するか、あるいは全分野均等に基礎中心でいくか迷いましたが、
むらなく話せる方がいいかなと思い、後者の基礎中心を準備を進めることにしました。



回答方法ですが、各々のテーマについて私が延々一人で説明していくのかと思いきや、
教授がその都度口頭で質問していき、所々解説を加えていくという方法で進行していきました。
テーマの順番は自由選択。最初は教授の専門分野を選ぶことに。予想どおりというか、苦戦を強いられました。
基礎よりもやや深い知識が求められる出題。勉強してきた知識を上手く引き出しながら対処しようにも空回りの連続。
まぁ全くトンチンカンなものになるよりかはいいかと思い、説明及び出題を集中して聞いて、よく考えて答えることに。
時々正答もありました。今回準備が及ばなかった領域からの出題もありましたが、3つの概念の説明のうち、
1つは正答。残り2つは撃沈しましたが・・・。


上手く答えられなかったことが多かったので、正直やばいかなと思いましたが、残りのテーマでの巻き返しに集中することに。
凡打が多かったけど、確実なクリーンヒットもありましたし。ヒットの中にはホームラン性のあたりもあったかな。
まぁ、パーフェクト回答は無理なんだから、5割、いや6割ぐらいでいいかなと。それぐらい打てそうな感じだったし。
しかも、思ったよりもあがらず、落ち着いていたのには自分でも驚きました。 こりゃ完走いけるかなと希望を持てました。


2つ目のテーマは、結構長いこと勉強してきたことだったので基礎はバッチリ。
枝葉的なテーマを聞かれてもそれなりに対処できたし、冷静に頭の引き出しから知識を選び出せました。
3つ目のテーマもいくつか答えられなくて(用語のど忘れ)悔しい思いをしましたが何とか完走。
延々一人で喋り続けるという時間は殆どなく、教授のお話がメイン。
説明&解説だけでなく、時には雑談ぽいものも。雰囲気は和やかそのものでした。



午後3時の5分前に試験終了。50数分間なんとか完走。悔しい思いもしましたが、合否は天命にまかせることに。
勉強してきた範囲のことはそれなりに的確に答えられたし悔いはなし。まぁ、不合格ならその時点で終戦だけど。
その後、一旦私は退室することに。合否を決める作業のためです。



2~3分後、教授の個人研究室の扉が勢いよく開きました。

教授に名前を呼ばれました。中に入りました。そうして「Bestanden(合格)」と告げられました。
思わず「echt? (ホントに)」って聞き返しましたが、どうやら本当のようでした。
教授と強く握手しお礼を言い、アシスタントの方にも軽く(日本流に)御辞儀してお礼を述べました。

嬉しいというか何というか「ほんまにあんなんでよかったの」という思いの方が強かったです。表情は引きつっていたかも。


帰り道でも「んー、なんか説明不足のところもあったし、言葉も下手くそやったしなー。何でや」と、
自問自答&一人反省会を延々行っていました。 お情けなのか、それともちゃんと評価もらっての合格なのか・・・。


まぁ、お情けであれどうであれ「合格」という判定を結果オーライって思えるまで結構時間かかりました。



というわけで、なんとか重い重い第三関門を突破しました。
情報がない中迎えた試験でしたが、何とかよい結果を伴って過ぎ去ってくれました。


次はいよいよ最終関門。Verteidigung(公開討論)です。ゴールテープ切れるかなー。
これが終われば、長かったドイツの旅もいよいよフィナーレです。

2010年10月21日木曜日

プッチンプリンもどき


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一見、何の変哲もない美味しそうなプリン。近所のスーパーで4個入りが安かったのでついつい買っちゃいました。
食後のデザートにと。一個昨日食べましたが、カラメルソースが甘すぎず美味しかったです。




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このプリン、ひっくり返してみると裏にこんな物が・・・。日本にあるプッチンプリンと同じ仕組みになっていて、
この銀色のラベルをペロリンと剥がすと、お皿の上にプリンがポトッと落ちるようになっています。


あと2個あります。今週末、また買おうかなー。


窓の外側にへばり付いていた虫。
うちは一階なので、虫やらカタツムリやらがちょくちょく訪問してくれます。



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久々にマクロ撮影に強いリコーのカメラを引っ張り出してきて撮影しました。
この虫さん、夕方頃までいました。よっぽど居心地よかったのかなー。

2010年10月20日水曜日

デジカメは便利だな&芝生がない・・・


今度はいつもお散歩ように持ち歩いているFinePix AX200の写真。
軽いし、AFだし、撮ったものはすぐに確認できるし、デジカメはやっぱり便利ですね。
いくらExa 1a用にストラップを買ったとはいえ、首からさげて長時間は・・・。辛いかもしれません。


フルマニュアル機を使ってみて、写真を一枚撮るのに昔の人がどれほど苦労したのかが何となくですがわかります。
人物画であれ風景画であれ、それを見たまんまに残すのなんて凄い技術と経験が必要だったのでしょう。
芸術、創作品としての写真ともなれば、それは当時はもう神業だったのかも。

今は技術革新が進み、スナップであればシャッターをポチッと押すだけですぐに撮れてしまう。
露光、距離、絞り、ピントなんて気にせずとも。デジタル一眼では、肉眼では捉えられないような世界まで表現でき、
芸術、創作品としての写真の幅が広がり、そして誰でもそれに触れることができるようになりました。


技術革新の変遷を割と気軽に追体験できる機械ってカメラぐらいかもしれませんね。
自動車もそうかもしれませんが、なかなかクラシックカーを運転するチャンスはやってこないからなー。
他の機械製品はどうだろ。時計・・・。はまったら、カメラ以上にお金かかりそうだ。




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そういえば、ヘンデル像の周りに敷かれていた芝生がいつの間にやらなくなってしまいました。
うん、この方が私は好きかも。町の真ん中に芝生があってもなんか不自然だし、かえって汚らしく見える・・・。
今日は雨。この写真撮影してる時、目の前を横切りそうになったおじさんに「像の前で一枚撮ってあげようか」と言われました。
観光客に見えたのかな。確かに、この辺りは観光客が本当に多いから。



さぁ、いい写真も撮れたことだし、勉強に励むとしよう!!!

Exa 1aで試写


土曜日に手に入れた旧東独製カメラExa 1aで使って早速試し撮りをしてみました。
40~50年前のカメラ故、本当にちゃんと動くのかどうかが心配でした。まぁオブジェとしても様になるんだけど・・・。
でもやっぱり、撮影してどんな絵になるのか知ってみたいですよね。


その前に取り付けられていたレンズについて色々調べてみました。 一眼レフはレンズが命。
レンズはMeyer-Optik Domiplan 2.8/50 exaktaというもので、単焦点レンズです。つまりズーム機能無しのレンズ。
標準装備のレンズらしく、Meyerというメーカーもドイツでは老舗らしい。
レンズを交換する際はexaktaマウントというタイプを選べばよいみたい。結構ヴァリエーションが豊富だそうですね。
折角だから、今度是非ツァイス製のレンズを手に入れたいな。


一眼レフを扱うのは実は初めてなのです。よりによってデジ一眼ではなくてフルマニュアルの一眼レフを扱うことになるとは。
ピント合わせも絞り調節も速度調節も全部手動。さらにはフィルム巻き上げも。露光と距離は全て目測&勘です。
撮影は遠景と近景をまんべんなくテストすることに。近景といっても撮影距離は75㎝からですが・・・。
遠景は距離を∞かそれに近いものに合わせ、天気もよかったし絞りも11程度で撮影しました。
シャッター速度は今のカメラじゃあり得ない最速1/175。まぁ、晴の日なら露光も気にならないので1/125に設定することに。
本当は晴天時の撮影ではISO100のフィルムでシャッター速度1/250に対しF8で適正露出を得れるということらしいけど・・・。


そして、月曜日の午後にドラッグストアーでなくてちゃんとしたカメラやさんに現像を依頼し、今日出来上がりました。
翌日仕上げはやや高くついたみたいだけど、撮影してボディやレンズがちゃんと動くのか早く知りたかったので・・・。
引き取りは午後4時以降だったので、午後4時半頃店に行きました。はたしてちゃんと撮れてるのか、ドキドキしていました。


完成品を受け取りチェックしましたが、もうぶったまげました。数枚失敗はあったものの、画質がシャープで凄く美しい。
60年代のカメラといえども、しっかりしたレンズによる一眼レフの絵というものなのか・・・。
コンパクトデジカメや普通のAFのコンパクトカメラしか知らなかった私には衝撃的でした。

ついでにレンズキャップとストラップも購入。ストラップは購入時に付いているものだそうで、単体ではないとのことでしたが、
中古カメラであるという旨を伝えると、中古ストラップを店の奥から数本出してきてくれました。
amazon等でみたら新品のものあるんだけど高い。中古ストラップ、一本4ユーロぐらいでした。
レンズキャップは合うものがなかなかなく、MINOLTAと書かれたものが最終的にしっくりきました。一個3ユーロ。
店屋のおっちゃんにカメラを見せたところ「おー、Exa かいねー」と驚き気味でした。
これだけデジタル機が安くなり普及してる昨今、フルマニュアル機を有り難く持ってるているのは確かに珍しいかも。

 
写真、早速スキャナで取り込んだので公開したいと思います。


6枚目、7枚目、比較的上手く絞って背景ぼかせられたかなー。ビギナーにしてはよいかな?
シャッター速度は1/125で、絞りは具合がわからなかったのでF5.6ぐらいだったかな。あと一段絞ってもよかったかも。
露出もまぁまぁですね。マニュアルカメラ初めてだったけど、露出高めかなって思ってもアンダーになるんですね。
デジカメだと逆に露出オーバー気味になり、適正よりもやや下で撮影することが多いのに。



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2010年10月17日日曜日

DDR時代のカメラ


実は来週試験があります。テーマは20日ぐらい前に決まり、
毎日毎日試験勉強に明け暮れておりました。暗記は辛いですね。10代の頃よりほんと衰えています。
故に、勉強方法を工夫してみることに。「覚えられない、あー、もうやだ!!」と覚えられないことがストレスになると、
どんどん自己嫌悪に陥っていきます。それじゃできるものもできなくなってしまいますよね。


なので、まずはストレスを溜めないよう心懸けてみました。忘れっぽくなっているのはもう仕方ないことなので。


まず勉強時間ですが、長くて3時間限定。この間にひたすら覚えて、定着率は5割を目標。覚え方はひたすら声だし。
3時間というのはあくまで目安で、覚えきれなかったら次の日に持ち越しても可。無理に覚ようとしません。
そして一番重要なのが勉強時間帯。それは寝る前です。人は睡眠中に記憶を定着させるのだとか。
起きた後、覚えられなかった箇所を再確認すると、さらに効果が上がるのだとか。 これで忘れた5割を補えます。
では日中は一体何をするか。読書&不足知識の補足。この時覚えようと絶対に思わないことにしました。


これを10日ぐらい続けてみましたが、確かに効果が出てきている模様。
さらに、もう一工夫加え、1番目に付くところにどうしても覚えきれないものを書き出して張り付けています。
受験勉強時に「トイレや風呂に貼ると覚える」と言われましたが、さすがにここじゃトイレ、風呂に貼れないので、
机の前の壁にベタベタと貼っています。


試験まで後1週間ですが、今すぐでもOKなぐらい仕上がりは順調です。




この数十日の間、ずっと勉強勉強だったので、なんかモヤモヤ~ってしていました。
時々一日中勉強から離れる日を作っても、部屋にいることが多かったので、なかなかモヤモヤが解消されませんでした。
そこで今日、あにいく天気は雨だったけど、ちょっくらライプツィヒまでお出かけしてきました。


近々(といってももう少し期間はありますが)ドイツを去るにあたり、
一つどうしても手に入れておきたいものがあります。それは Made in Germany と記されたあるいはそれに類するカメラです。
ドイツと言えば、精密機器、光学機器で有名です。その製品は世界でもトップクラスです。
その代表格といえばやっぱりカメラ。高級ブランドで有名なライカ(Laica)がありますし、レンズの分野でも、
カール・ツァイス製のものなどが有名です。しかし、ライカ製のカメラは気軽に買えるものではありません。
中古でもウン十万という値を付けています。ライカ以外にもドイツには様々な有名カメラブランドがあります。
ローライ(Rollei)、イハゲー(Ihagee)、エクサクタ(Exakta)、ペンタコン(Pentacon)、コンタレックス(Contarex)、
プラクティカ(Praktika)等々。挙げるときりがありません・・・。中でも私が注目したのがDDR時代に製造されたカメラです。

ここ最近、色々と情報を収集していたのですが、いかんせん私の町には中古カメラを扱う店はありません。
ベルリンに行けばあるとのことですが、ここは滞在目的が全て終了してからゆっくり巡りたいと思ってるので今回はパス。
旧DDRでそういったものが集まりそうなところといえばライプツィヒかドレスデン。特に家から近いライプツィヒを 調べたところ、
一件よさげな中古カメラ屋さんを発見しました。DDR時代に作られたカメラの在庫もそこそこありそうでしたし、
ずっと前から一度行ってみようと思っていました。それを今日、とうとう実行に移しました。




電車でお出かけするのは約1ヶ月ぶり。それに、わざわざ雨の日に遠出なんてのも珍しい。
今回ライプツィヒに着くまで色々波乱がありました。駅に着いたのが午後14時20分。23分にSバーンがあったので、
ギリギリ間に合ったらいいなーっていう位の気持ちで切符を買ってホームに向かうとまだ来ていませんでした。
ラッキーと喜んでいたら「ホームが変わる」という場内アナウンスが流れました。何番線か上手く聞き取れなかったので、
とりあえず人の流れについて行き、何とか電車に乗れました。しかし電車はなかなか出発しませんでした。
今か今かと出発を待っていたら、若い女性が隣の席に座ってきました。合い席ではなくDBの職員さんで、
新しい切符の値段設定についてアンケートを受けました。なかなか可愛らしい女性でした。
アンケートが終り、しばらく待っていたら車内アナウンスが。折角移動したのに、運行しないとのこと・・・。
またまた私を含めた乗客はもといたホームに移動するはめに。怒ったりするお客さんがいなかったのが不思議でした。


しかし、53分に来るはずの電車もこれまた15分遅れ。一体どうなってるんだ・・・。私は一人でイライラしていました。
午後15時11分に空港経由のライプツィヒ行き電車があるので、Sバーンは諦めそちらを利用することに。
電車は既に来ており、定刻通り出発。15時半過ぎにライプツィヒに到着しました。




今日はとにかく変な日でした。ライプツィヒに降り立つやいなや、そこには物騒な光景が・・・。
駅の至る所に警官がズラリ。それも武装警官。腰にはぶっとい警棒とピストルをぶら下げていました。
さらに外に出てみると、警察車両が大量にズラリと並んでいました。一部は駅前の路面電車路線を塞ぐほど。
町中にも結構な数の警官を目撃しました。何かイベントでもあったのでしょうか。
さて目的のお店ですが、10分ぐらい迷ったものの見つけることができました。




小さなお店で、ショーケースにはズラリ古いカメラが並んでいました。
私が興味を持ったのはPrakticaブランドとExaブランドの1960~70年代にDDRで作られた一眼レフカメラ。
PrakticaもIhagee社のExaも市場価格はそう高くなく、相場は大体40~50ユーロ程度。
でも、ショーケースにあったPrakikaはかなり状態がよさそう。値段が気になったので、思い切って店内に入ることに。
土曜日は17時まで営業とドアに張り出してありましたが、この時まだ16時過ぎだったのにドアの鍵が閉まりました。
しかし、入口に立っていた僕に気付いてくれた店員さんがドアをすぐに開けてくれて中に入ることが出来ました。



白髪の男性がこのお店の店主さんで、PracticaとExaを見せて欲しいと告げると、Practicaかショーケースから、
Exaは店の棚からそれぞれ出してくれました。ExaはExa 1aという0、1a、1b、1cというシリーズのうちの一つ。
旧DDR滞在の記念に、DDRで製造されたカメラを記念に持ち帰りたいと告げると、男性は凄く喜んでくれ、
「こういうカメラの収集を始めるとキリがないからねー」とグサリと刺さる一言も。確かにクセになりそう、どれも格好いい。
Prakticaは状態が物凄くよかったので、電池込みで90ユーロとさすがによい値段でした。
実際に手に取ってみましたが、ズシリと重くて凄くよい。それに比べたら便利だけど今のデジカメなんてオモチャみたい。
Prakticaは旧東ドイツ唯一の国営カメラ会社だったペンタコン公社製です。DDR製ですね。

もう一つ、Ihagee社のExa 1aも姿格好はごつごつした感じだけど、質量感は最高。ズシリときます。
こちらは安くて40ユーロ。ファインダーが変わっており、上からのぞき込むウェストレベルファインダーになっています。
アイレベルファインダー(一般的なファインダー)と交換可能で、これは20ユーロとのこと。2つ持っておけと勧められました。
これで計60ユーロ。悪くない。さらに状態が非常によい革製のカメラケースに、DDR製のフラッシュを無料進呈とのこと。
状態のよいケースってどんなんだろうって半信半疑でしたが、外装に傷はあるものの十分使用に耐えうるものでした。
フラッシュもいかにもアンティークという感じで、たぶんケースとフラッシュだけで30~40ユーロはするんじゃないかな。
結局、お手ごろ価格のExa 1aを購入することに。ズシリと重いカメラらしいフォルムに魅了されました。





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これが購入したExa 1aです。Ihageeはオランダ人が1912年にドレスデンで設立した会社でしたが、1976年に倒産しました。
オランダ資本だったらしく、第二次世界大戦後大半の企業が国営化された中、この会社だけは民営だったそうです。
それ故に、しばらくの間は本当に質のよい製品を作り続け、西側に輸出していたとのことです。
レンズですが、本当はイェナ・ツァイス製のが欲しかったのですが叶いませんでした。今度もう一度訪れて交渉するか。




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手前のダイヤルはフィルム枚数計とフィルム感度設定です。その向こうに aus DRESDENとしっかり刻印されています。
プラスチック部分はなく、鋼で出来ています。今のコンデジではこういうのはないなー。重いと持ち歩けないから。




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これがウェストレベルファインダーです。上からのぞき込んで撮影するようになっており、中の像は左右逆に映ります。
しかしいかんせん視野が狭い。普通のファインダーをつけてもらって正解でした。



これ、一応レンズ交換式の一眼レフカメラなんです。絞り、シャッター速度、ピントは全て手動設定です。
この当時のカメラにもちらほら見られた電池式の露光計はなし。自分の勘に頼るしかなさそう・・・。
電池式でないというのはメリットでもあるのです。この年代のカメラで使われている電池のその殆どは生産されておらず、
特にボタン型水銀電池などは入手が本当に困難だそうです。同じ口径のものがあったとしても電圧が違っており、
変圧器をつけるなどして対処せねばならないそうなのですが、コストが非常にかかるのだとか。
なので、電池無しで動くというこのカメラ、よいかもしれません。



さて、50年前のカメラで一体どんな絵が撮れるのやら。天気のいい日に町に出て、撮影してみたいと思います。
撮ったものは、スキャナがあるので、取り込んでここで公開できます。

2010年10月15日金曜日

塔5本


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晴の日のマルクトで撮影。偶然、塔の後ろに飛行機が飛び、飛行機雲が出来ました。
マルクト教会の4本の塔に、サンドウィッチ屋が入っている建物の塔をも合わせて計5本。こんなアングルがあったとは。


最近グンと寒くなってきました。まぁもう10月半ばだし仕方ないかな。
今、紅葉が見頃です。

2010年10月9日土曜日

ノルウェー GJですね!!


先月末、屈辱的な幕切れとなった尖閣諸島問題で、どことなく暗い雰囲気が漂っていた昨今。
今週に入り、日本にとって喜ばしいニュースが飛び込んできました。そう、ノーベル化学賞に日本人2人が選ばれました。

ノーベル賞を受賞した事実だけを見ると、日本の科学力は依然高い水準を保っていると評価できます。
しかし、受賞された根岸氏のように、研究拠点を海外に置いて活躍されている方が多い気がします。
これから受賞候補に挙がるであろう日本人研究者の方々も、その殆どが研究拠点が海外にある方じゃないでしょうか。

これは、日本では研究施設や人材育成への国のバックアップ、擁護が行き届いていないという、
トップクラスの研究者が腰を据えて伸び伸びと研究に従事できないという現状を示している好例だと思います。
例えば真逆の事例、日本の研究室で、外国人研究者が優れた賞を取ったということ、聞いたことあるでしょうか。


日本人が従事できる労働まで奪う特亜の外国人を大量に勧誘するより(彼らによる犯罪、最近目立っていますね)、
日本人研究者とタッグを組んでくれ、日本人研究者に足らない部分をサポートしてくれる優秀な外国人を招き入れた方が、
またはそのような外国人を招き入れるだけのハード面を強化することこそが、
日本の国益及び科学力のハード、ソフト両面の強化に繋がっていくのではないでしょうか。


自然科学分野ですらこれなんだから、人文系なんて・・・。



さて、それよりももっと衝撃的なニュースが飛び込んできました。
ノーベル平和賞にお隣支那の民主活動家劉暁波氏に決まったというニュースです。
正式決定の前から劉氏が候補に挙がっているということは把握していましたが、
まさかまさか、本当に選ばれるとは・・・。

劉暁波氏は天安門事件時に活躍し(しかし投獄される)、その後も支那政府による再三にわたる拘束を受けても、
支那民主化を推進してきた人物。現在、2020年までの懲役刑をうけて服役中です。
その人物の受賞に関し、さすがに支那政府もかなり動揺し、ノルウェーに理不尽な抗議をおこなってる模様です。
そしてお得意の情報隠蔽。NHKの海外放送が劉暁波氏の受賞に関するニュースを伝えた時のみ、
画面を真っ黒にして映さなかったとか。ネットでも検索エンジンで情報隠蔽措置がとられるのは時間の問題でしょうね。



支那側の言い分:「民族和睦や各国友好の促進、軍縮推進などに努力した人に授与するノーベル平和賞の趣旨に反する」


ちょっと待てよ。

民族和睦=内モンゴル、チベット、東トルキスタンを侵略し、民族浄化政策を進めて人々を苦しめているのはどこの誰だ
各国友好=最近では尖閣諸島問題で日本の大使を夜中に呼び出し、恫喝外交してきたのはどこの誰だ
軍縮推進=近年軍事費を増額し、東西シナ海及び大平洋を脅かす空母建造を進めているのはどこの誰だ


といいたい。こんな意味不明な、理不尽な逆ギレされてもなー。ちょっと困りますよ。
このような支那の行い及び今回の対応がそもそもノーベル平和賞の趣旨に完全に反して、冒涜しているんですよ。
劉暁波氏は中国国内法で裁かれた云々とも言ってるけど、人治国家の分際で何を「法」とかぬけぬけと宣うかと。


もし、支那国内で劉暁波氏が受賞したという事実を隠蔽している等の情報が世界に流れれば流れるほど、
支那はこれから自分で自分の評判を下げていくことになるでしょう。世界中からの圧力が増す中で・・・。 
既に始まってますが、ノルウェーに脅迫まがいの恫喝をすればするほど、これまた同様に自分の首を絞めることになる。
日本と同じやり方は通用しないし、ノルウェーだけでなく欧州全部を敵に回すことになります。
欧州でも、最近支那離れは進んでる模様。支那への経済支援を打ち切ろうかという動きもちらほら出てるみたい。
さらに、もし支那国内で民主運動家がノーベル賞を受賞したという事実が知れ渡り、支那がこれまで隠蔽してきた、
例えば天安門事件等の民主運動の内実が知れ渡ることになれば、支那共産党の存続は厳しくなるかも。
どちらにしても、支那共産党にとっては、今回のノーベル平和賞の決定はかなりやっかいなもので、
前途はかなり多難だと思います。



さて日本のマスゴミはどう報じるのか。殆ど支那の犬に成り下がっているマスゴミ各社。これも見物。
こないだの尖閣諸島の政府の対応に対しおこなわれたデモをどこも報じなかったように、
どうやら朝刊で大々的に取り上げていない模様(サッカーでアルゼンチンに勝ったとか、大方その程度がトップなのかな)。

北海道だったかな。支那人にビザ無し渡航を認め、自動車運転まで許可するという特区を作る構想があるとかないとか。
「支那人はお金を落としていってくれるからそれでよい」とお金のことにしか興味がないこのようなお花畑状態の自治体、
そして日本の経団連。どうやら支那と日本国民を心中させたい模様・・・。


はぁ~。



日本の行く末にとってもこの平和賞は大きな意味を持つでしょう。
東アジアの情勢、これからも目が離せません。



紅葉


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いつも通る買い物道。落ち葉がいっぱい路上に散乱し、木々は写真のように赤く色づいています。紅葉の季節だ。
ドイツって四季がない・・・と思われるかもしれませんが、五感をフルに働かせば四季を至る所に見つけることができます。



今日はお腹が痛い。昼食べたサラダが悪かったのかな。
しなければいけないことがあるけど、今日1日はお休みして明日またしようかな。

2010年10月7日木曜日

カタツムリ


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この時期にカタツムリとは・・・。誰かがここにくっつけたのか、あるいはここまで自力で這い上がってきたのか。
買い物途中に偶然発見。慌ててカメラを取りに家に戻りました。


らばQとサイトでカタツムリについて面白い記事を発見しました。
カタツムリは3年間眠れるのだとか http://labaq.com/archives/50788637.html


このまま越冬するのかな・・・。

2010年10月4日月曜日

蜂のお家


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そこのけ、そこのけ、トラクターが通る


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ダチョウのステーキ


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私達の出番は月末ね


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三匹の子豚


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来年は私の年よ


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腹減ったー


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ドナドナ


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お昼寝中


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Blumen- und Bauernmarkt


10月に入り初めての更新です。

さてさて、10月3日はドイツ再統一記念日。本来ならば祝日なのですが、日曜日と重なってしまいました。残念。
今日Blumen- und Bauernmarkt(植木市みたいなもの)が催されるということなので、ちょいと出掛けてみることにしました。



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先週末、Salzfestの時は土砂降りの雨でしたが、今日は青空が広がる好天に恵まれました。
故に、マルクトは人で溢れかえっていました。先週も天気だったらよかったのにな。残念でなりません・・・。




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Blumen- und Bauernmarktでは、近隣の園芸農家が育てた花や園芸用品の直売をおこなうというイベントです。
毎年春と秋の二度あります。花屋さんだけでなく、屋台や移動動物園なんかもあり、雰囲気はお祭りのようでした。


日曜日のマルクトに、クリスマス市期間中以外でこれだけ人が集まるってなかなかありません。
そんな雰囲気を味わえるのももう最後なので、ブラブラ散策してみることに。