2011年1月30日日曜日

1500円也 -Retina Ib-


実はAgfa Siletteの前に、もう一台落札していました。もはや病気かな。
ごく希に「コレクション整理」と称して、大量に出品される方がいらっしゃるのですが、今回のはその中の一台でした。


名機ばかりが出品され、どれも5000円以上の高値で落札されていく中、一台だけ入札数がのびていないものがありました。
「このカメラで撮影したことがないので動作するかどうかわからないし」と胡散臭いことが書かれていましたが、
「1500円ぐらいなら」と思い、ちびちび入札していたら1500円ほどで入札時間が終わってしまい落札。


実は先日延着した商品というのがこれだったのです。4日に「初夢」気分で落札して、届いたのが20日だったという・・・。


さてさて、落札したのはKodak社のRetina Ibという蛇腹カメラです。でも35mmフィルムカメラ。
Retina(レチナ)というカメラもまた、ドイツカメラ史において必ず語られる大変重要なもののひとつなのです。
Kodak社は元々米国の会社です。今日もありますね。その会社が1931年にドイツにあったナーゲル社を買収します。
しばしば米国のKodak社と区別するため「ドイツコダック」と呼ばれます。
このナーゲル社は大変高い技術力を誇っていたそうで、レチナはその技術力の元で誕生しました。

今日一般的なパトローネ入り35mmフィルムは、前回紹介したAgfa(アグファ)が初めて発売したものだったのですが、
それを普及させたのがレチナだったそうです。1934年に登場し大ヒットしたのだとか。
大ヒットしたとはいえ、作りや構造がかなりマニアックな故、普通の家庭では高級機だったのかもしれません。


現在でも国内外でレチナ愛好者がいるらしく、完動品は高値で売られているのだとか。
日本の中古市場で今どれぐらいの価格で流通しているのか調べてみたところ、1~2万円が相場みたいです。
それを何と1500円ほどで今回落札。それも何と完動品。フィルム巻き上げれバー部が欠けているものの動作は問題なし。




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今回落札したのはRetina Ibというもの。1934年に発売されたRetina Iシリーズの戦後版。
1950年代後半に販売され、エベレスト登頂時にも用いられたものだそうです。
Retina Iaという機種もありますが、Iaはフィルム巻き上げれバーが上蓋に、Ibは下蓋にあります。
レンズはドイツの老舗レンズメーカーであるシュナイダー・クロイツナハ製のクセナー2,8/50mmです。
シュナイダー・クロイツナハ社は今日高級レンズを多数販売していますが、当時は普及機用のも作っていたのだとか。
シャッター速度はB, 1, 1/2, 1/4, 1/8, 1/15, 1/30, 1/60, 1/125, 1/250, 1/500と当時のカメラにしては高スペック。
しかも目測ですが全速正確に動いてるようです。レンズも綺麗し、絞り・シャッターに粘りはありません。
シャッター音ですがものすごく静か。カメラごとにシャッター音が違うというのも、昔のカメラの面白いところですね。




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蛇腹を閉じたところ。前蓋右側にある銀色のボタンを手前に引いて、そぉーっと開けてあげます。
ファインダは小窓で結構見辛いです。オマケにちょっと曇っています。距離計連動ファインダをつけた方がいいかも。
折りたたむとかなりコンパクトになり、背広の内ポケットにすっぽり収まるほど。
ただこのカメラも殆ど鉄で出来ているため重いのです・・・。




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前蓋を開き、上から撮影してみました。正面に見える銀色のボタンはこの底側にも付いており、
蛇腹を折りたたむ時はこのボタンを上下一緒に押します。さらにこのカメラにはちょっとした作法があります。
距離環を必ず∞位置に戻してあげなければ、このボタンを押せない仕組みになっています。
前蓋を開けるたびにそうしないといけないので、速写向けのカメラとは言い難いですね。




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軍艦上部。Retinaと筆記体で彫りこまれていますが、これが何ともオシャレでとても気に入りました。
奥の筒状ボタンがシャッター。そのすぐ左斜め下にある窓は逆算式のフィルム残量メーターです。
メーターを戻したり調整する時には、メーターの下についているボタンを押しながら、矢印下のボタンを押します。

 


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底蓋部分。左側に見えるのがフィルム送りレバーです。
姉妹機にRetina Iaというのがあるのですが、Iaはこのレバーが上蓋上部についています。
当時、このフィルム送りレバーは画期的だったそうで「レチナ式」と呼ばれていたそうです。
フィルム送りの際にもちょっとした作法があります。これは特に重要で、守らないとカメラの寿命が縮まるか壊れてしまいます。
フィルム残量メーターが1になると、フィルム巻き上げれバーは動かなくなります。
「故障かな」と思って無理に巻き上げてはいけません。
ただでさえこのRetinaのフィルム巻き上げレバーの壊れやすさ脆さは有名だそうで、
部品の一部が柔らかい真鍮製で、無理に動かすと曲がったり破損したりするとのこと。
非常に珍しい部品故に、修理はかなり高額になるそうです。



Retina Ibを所有されてる方のHPで「距離∞のピントが狂っていることがある」という事例を見つけました。
「このカメラも・・・」と心配になり、フィルムを入れる前にチェックしてみたくなり距離を確かめる方法を色々探しました。
ピントの確認方法はすりガラスかそれに似たものでできるそうです。
すりガラスは手元になかったので、私はそれに近いものとしてフィルムケースを解体して使いました。半透明ですし。
やり方ですが、裏蓋を開けて、レンズ部分に適当な大きさに切った板を当ててあげます。
その状態でシャッターをB状態にすると、その半透明の板に像が上下逆さまに写ります。
このやり方を解説されていたHPには「ルーペでピントが合ってるかどうか確かめるように」とありました。
ルーペ、というか虫眼鏡すら持っていないので、正確にピントを調べられずにいたところ、アイデアが浮かびました。


「Exaのウェストレベルファインダーってすりガラス使われているし、ルーペもある。使えないかな」と。


早速試してみたところ上手く確認することが出来ました。
幸いなことに、私のRetina Ibは∞でのピントは合っていました。
巻き尺があったので、近接距離でのピントもテストしてみましたが、こちらも大丈夫そうでした。

次は実際にフィルムを入れてみないといけませんね。



ということは、ほぼ完動品であることは確実みたい。1500円でとんでもない掘り出し物をゲットしてしまったみたいです。
しかしこのRetina。Exa同様ものすごく物欲を満たしてくれる一品です。美しすぎる・・・。

ティータイム&自信喪失からの復興


最近ハマっているお茶があります。

緑茶(Grüner Tee)をベースとし、オレンジと生姜のフレーバーが入ったお茶です。

EDEKAで「新製品」として売られていたのを偶然発見し買ってみたところ、これがなかなか美味しいではないですか!!

 



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一箱は普通の紅茶に比べて若干高めですが、緑茶にオレンジの風味が何とも心地よい。
リラックスするのに効果的なので、Verteidigung前にもこのお茶にはお世話になりました。気持ちがすーっと落ち着く。


今は日曜日の昼前です。

外は寒い。外出する気にはさすがになれないな・・・。一週間前は暖かかったのに、冬に逆戻りです。

パソコンに向かってお茶をすすりながら、この一週間の出来事を頭の中で振り返って簡単に整理してみました。

月曜日、火曜日はとにかく不安の塊に押しつぶされていたなーと。準備は何かと大変だったし。

そしてVerteidigungだった水曜日。ようやく今になって大きな安堵感を感じることが出来るようになりました。

私もやれば出来るんだなと。苦手を克服したかの如く、最後の最後で予想以上の成果を残すことが出来ました。

ここ数年自信喪失状態が続いていましたが、少し改善しそうです。


 

しかし日本に帰るとこれまた事情が変わるんだろうな・・・。

「自分はできるんだ」という自信を得ても、どこかまた他人と比べる自分、他人と比べる他人が出てきて、

折角得たものが徐々にすり減らされていく・・・。日本って何故か他人と比べたがるの好きですからね。

私がドイツでのびのびさせてもらえたのは、私自身の「他人と出来るだけ比べないようにしよう」という意識転換もあったけど、

そしてProfessorを筆頭に他人と比べないという土壌がもともとドイツにあるからではないかと。良い悪いは別にして。

Professorも指導してくださる時には絶対に「○○さんはどうだから」と他人を引き合いに出すことはありませんでした。

全くゼロだったということはありませんでしたが、比べる場合は身近な人を引き合いに出すことはなかったです。

しかし殆どの場合において、今私が直面している問題点だけを取り上げ、それを解決するためのヒントしか述べない。

そして良い部分はストレートに「良い」と評価してくれる。

日本にいる時は事ある毎に「○○さんはどうだから」とか「○○さんのこの時期はこれぐらい出来た」とか、

何かにつけて他人を、それも身近な人を比較材料に持ち出され苦しんだ時期がありました。

 

「比べる」というのは時と場合と対象によっては良い方法だと思います。

しかしその対象が特に人間であり、時と場合を間違って身勝手に比べられた人間にはただの迷惑でしかありません。

色々な人がいるわけですし、人間どおし比べることは不可能であるか、あるいは比べる際には慎重にならないといけない。

どうしても必要に迫られた場合は、できるだけ身近な人は比較対象として引き合いに出さない。

この滞在中でこれらのことを学びました。

 

もう暫くの間、自分と見つめ合う時間を作って、自分の良かった部分だけを見てあげたいと思います。

 

そして帰国までの暫くの間ちょっと好きなことをしようと。スイッチを切った生活もいいのではないかと。

来月からまたカメラを持って外出できたらなーと思います。

350円也 - Agfa Silette -


今日は比較的気分良く過ごすことができたかな。
卵炒飯を作り、美味しく頂きました。沢山食べたので、今もまだお腹いっぱいです。


さてさて、実はVerteidigungの前、またまたカメラを物色していました。
Exa 0を14日に購入し、高いのはもう買えないので、予算の上限を1500~2000円に設定して。

eBayを見てると、終了間際まで殆ど入札価格が上がらないものが結構あります。
その大半は付属品や部品調達用の壊れたカメラなのですが、ごくたまにまともに動きそうなカメラも混じっています。
しかし、玉石混淆なので見極めが難しい。品物の説明書きに「動きます」と書いてあってもそうじゃない場合もあります。




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入札時間が一時間を切っても、価格が1ユーロから動かないカメラが一台ありました。Agfa Siletteという50年代のカメラ。
見た目は綺麗で「完動品」と書かれていました。3ユーロ位で落とせるかなと入札して待ってたら、3,2ユーロで終了しました。
3,2ユーロといえば日本円で350円ほど(1ユーロ=110円で計算)。


さて、このAgfa Siletteというカメラですが、1950年代中盤頃から作られたものだそうです。ドイツ製です。
Agfa(アグファ)という会社は、フィルムメーカーとして世界的に有名な会社。一時期世界シェア第3位だったのだとか。
フィルムメーカーが作ったカメラということでよいレンズを使っており、 安くてよく写ると評判がよかったそうです。
日本で言うと富士フイルムが作ったカメラといったところでしょうか。


距離計も露光計も何もついていないレンズシャッター式カメラです。
写真には窓が2つ見えますが、向かって右側がファインダーで左側は飾りです。距離計ではありません。
レンズはAgfa Color Agnar 2,8/50mmで、安い割には明るめのよいレンズを使ってます。
シャッター速度はB(バルブ)-1/250。スナップ程度なら十分なスペックです。




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3~4日ほどで品物が届きました。
手にとってビックリ。何と新品同然。傷も汚れも殆どない。速写ケースとAgfa純正フラッシュが付いていました。
シャッター速度もほぼ全速稼働しており、絞り・シャッター羽も粘りなし。サクサク動きます。フィルム送りもスムーズ。
レンズに傷も曇りもなし。前玉も後玉も綺麗綺麗。
あ、セルフタイマーだけ動きが鈍っています。殆ど使うことはなさそうなので無問題。




前のオーナーさんが丁寧に使われていたのでしょうか。それとも未使用なのか。
なぜ350円ほどで落とせたのか。ナゾです。

今度試写してみます。どんな写りになるのか楽しみー。

2011年1月29日土曜日

荷下ろし症候群?


26日のVerteidigungから2日が経過しました。早いですね。

27日は午後6時からコロキウムでした。Verteidigungに所用で来れなかった人達が祝福してくれました。

 

しかし、長年の目標が達成されたものの、嬉しいという気持ちが殆どありません。

ずーっと長い間一つのことを続けてきて、それからようやく開放された今、何とも言えない虚脱感の中にあります。

「Verteidigungが終わったら写真撮りに行こう」と思ってもその意欲がおきない・・・。

頭の中がどよーんとしてて、食欲もない。自分から「○○が食べたい」という気が一切起らない。

でも、体は空腹を訴えるので、体調だけは維持しなければという強迫的な食事になってしまっています。

美味しくない。でも、食べないと倒れちゃうのではないかという不安。

洗濯もたまり放題・・・。あー、やらねば。

 

こういうのって「荷下ろし症候群」っていうみたいですね。

何か大きな仕事を成し遂げたあと、途端に無気力感に襲われるというもの。今、まさにその状態にあります。

抜け出すにはどうしたらいいでしょうかね・・・。

燃え尽き症候群とはちと違うみたい。これは2004年時に体験しました。

 

 

コミュニケーション不足というのもあるかもしれない。

これまでも大なり小なり、私なりの「大きな仕事を成し遂げる」という局面はありました。

しかし、そういう区切りの後にはいつも回りに誰か人がいてくれました。

今は、部屋に戻ると誰もいない・・・。大きな仕事を終えても、誰もいない。

 

 

なんか上手く言い表せませんね。

気力が戻るまで、しばらく休む方がいいのかな。

2011年1月27日木曜日

桜咲く&大逆転ホームラン


あー、何とか無事終えました。Verteidigung。

Verteidigungとは学位請求論文に関する公開討論会のことです。

Dissertation(博士学位請求論文)を提出しただけでは学位授与の資格はまだ満たされておらず、

論文と討論会の評点を付き合わせることによって合否が判断されます。

 

とりあえず、ドイツ語で言うところの”bestanden”しました。つまり「合格」しました。

 

今日も朝からバタバタしっぱなしでした。

朝8時頃から口頭発表の準備と原稿の再修正。お昼頃ジュースと水を買いに行き、その後昼食。

Verteidigungはある種「戦」のようなもの。出陣を前に、日本人らしくお米を食べました。

その後、昨日買ったシャンパンとジュースを運ぶために、LuisenstrasseのGermanistisches Institutに移動。

さらに、パワーポイント用のプロジェクタを借るために、路面電車に乗ってHerweghstrasseのInstitutに移動。

プロジェクタを受け取った後、プレゼンテーションで配るハンドアウトのコピー。30部。

その後帰宅。しばしリラックスした後、今日の戦闘服であるスーツに着替え、17時前に出発。

 

口頭発表時は出来るだけ早い目に会場入りし、機材チェック等をしておかねばなりません。経験則からです。

Verteidigung開始は18時。17時15分頃会場に到着したので、準備時間は十分すぎるほどありました。

しかし、不測の事態に手間取りました。パワーポイントのスライドを映すホワイトボードが真っ黒。

黒板消しのようなもので消しても、それ自体がすでに真っ黒になっているので、消せども消せども全然消えない。

秘書室に人の姿が見えたので、雑巾でも借りようかと思ったのですが、

昨日グラスの件を訊ねた時にあまり感じがよろしくない人だったので、諦めてトイレットペーパーで拭くことにしました。

何度か拭いているうちにピカピカになりました。

 

さて、今度は機材チェック。といっても、パソコンもプロジェクタも問題なく動いてくれました。

 

18時15分ぐらい前からポツポツ人がやってきました。

一番最初にこられたのは、月曜日の予行演習の帰りに途中まで一緒に帰った辞書編纂されている男性です。

開口一番「ゼクトの準備は出来ましたか」(笑)。

私が月曜日の帰りにゼクトの手配について色々質問したので、ちゃんと揃えられたか心配して聞いてくださったのです。

18時10分前ぐらいになると、主査の先生、学部事務局の副学部長(Prodekan)、そして審査委員の先生が来られました。

この副学部長さんは今日初めてお会いする方で、女性の教授です。「こりゃ、きっつそうな人だなー」というのが第一印象。

本来、こういう場では副学部長ではなく学部長が取り仕切るのが慣例なのですが、

私の場合、学部長が論文の副査を兼任しているため、規定上Verteidigungのまとめ役は副学部長になりました。

一番最後に来られたのは学部長兼副査の先生。白髪で、外出時はシルクハットをかぶるすごいオシャレな先生。

 

主査、副査、審査員、そして副学部長が私の目の前にズラリと並びました。

その後ろには、忙しい中足を運んでくださったInstitutのアシスタントの方々と会場の秘書さんが座りました。

 

まずは副学部長さんによる挨拶。引き続いて私の簡単な経歴説明があると思っていたのですが、

何とこれは「あなた、自分でしてください」ということになりました。エジプト人の友人の時は違ったのに、何故。

どこから来て、どこで学んで、いつMagister(修士号)を取得し云々を簡単に説明しました。

 

その後、私の発表が始まりました。

午前中練習したときは、パワーポイントのクリックをミスしまくってましたが、

数度練習したかいがあったのか、ミスすることなく最後まで発表をやり遂げることが出来ました。

口頭発表はまだいいんです。私が一人で喋るだけですから。その後の質疑応答が怖い・・・。

発表原稿が最後のページになった時、ガタガタ震えだしたぐらいです。

緊張からではなく、ほんとに恐怖からでした。

 

そして発表終了。締めの言葉 “Vielen Dank für Ihre Aufmerksamkeit” 、言いたくなかった・・・。

まず主査、副査、審査員、そして副学部長との質疑応答合戦です。先陣を切ったのは主査の先生。

主査の先生は喋る速度がとにかく速いのですが、最近プレゼンの練習等でショッチュウ話しているので、

耳が慣れてきていました。なので「何とか聞きとって答えられる」という勝算はありました。

そして、聞き取りの際に即座に作戦を思いつきました。とにかく「質問ですが」という言い回しを聞き逃さないこと。

「質問ですが」という言い回しが来ると、自ずと決定疑問か補足疑問の表現が来ます。

それをとにかく集中して聞き取るということに徹し、合間の会話は聞き流す程度に留めることに。

合間の会話を真剣に聞こうとして「あ、聞こえないー。やばい」となると、一気に戦意喪失しますから。

そんなこんなで、主査の先生による質問は何とか答えることが出来ました。

次の質問者は公開討論の審査委員。この方とはメールでしかお話したことがありませんでした。

どういう話し方をされるのか全くわからなかったので一番恐れていたのですが、

わかりやすく話してくださったので、2つ質問されたけど何とか聞き取った内容を頭に残して答えることができました。

質問とそれに対して私が回答するというやり取りが約30分ほど続きました。

私の方と言えば・・・。綺麗なドイツ語を話すように心懸ける一方で、

理解できた質問については、とにかくブロークンになってもいいから徹底的に答えることに専念しました。

公開討論で大事なのは、相手から来る質問に素早く答えて納得させることですから。

「聞けない」ということは相手を納得させる以前の問題。それを今まで私は全然出来ていなかったのです。

「相手の質問内容を聞いて理解すれば、答えるのは何とかなる」という姿勢で臨んだのがよかったのかも。

 

次は審査員の先生方以外との公開討論でしたが、特に質問はなく終了してしまいました。

 

終了後、主査、副査、公開討論の審査員、そして副学部長が別室に移動しました。成績を決めるためです。

10分後、部屋に来るよう呼ばれました。評点が決まったのです。

まずは副学部長から「オメデトウ、合格しましたよ」と合否を教えてもらいました。

それから論文と公開議論各々の評点も教えてもらいました。

論文は「可」でした。しかし公開議論は何と「良の上」。

嬉しいというよりも不思議でなりませんでした。あれほど苦手にしていた聞き取りと会話がメインの公開討論で、

こんなにいい成績をもらえるとは。んー、ドイツ語下手くそだったのに・・・。

 

 

 

私が先に会場に戻ると、しばらくしてから審査員4名が入ってこられました。

この時、聴衆は一斉に起立するという慣習があります。私も背筋をピンと伸して起立しました。

合否の報告は副学部長さんの役割です。「合格」と告げられるとみんなから拍手で祝福してもらいました。

最後に一言スピーチしなければなりませんでした。

主査、副査の先生、公開議論の審査員さん、副学部長さんはProfessor故に個別に名前を挙げながら、

次にInstitutのアシスタントの人達、最後にその他の参加してくださった方に感謝を伝えました。

そしてやはり日本的に深々と御辞儀をすることで最後を締めくくりました。

 

続いて祝賀会。シャンパンで乾杯です。

今日までメールでしかお話したことがなかった審査員の先生とたくさんお話させてもらいました。

グラス片手に質疑応答の延長戦のような状態になりましたが・・・。

イランからの女子留学生さんにも話しかけられました。同じ外国人ということで関心を持ってもらったようです。

今年から今回私の論文の副査をしてくださった先生の元で勉強を始めることになったとのこと。

Institutのアシスタントの方も次から次へとお祝いの言葉を頂きました。

今学期だけ在籍し、週末に帰国するというアルバニアから来た女子留学生さんからも。

とても綺麗な人なのです(アルバニアは美人の産出国らしい)。コロキウムにも毎回熱心に参加されていました。

先週の木曜日に初めてお話しし、ハレでの留学に関心があるとのことで、研究環境等いろいろ質問を受けました。

残念ながら週末に帰国しちゃうのだとか。。。

「きつそうだなー」という第一印象を得た副学部長さんでしたが、実際は気さくに話しかけてくださる方でした。

 

さてさて、最も大きい山を今日無事動かすことが出来ました。数年来の目標が叶いました。

2,3年前は「もうだめだ」と諦めかけ、帰国することも考えたほど。作業が進まないときはほんとに大変でした。

技術や知識はまだまだ未熟でも、その中で真面目に自分ができる範囲でこつこつやってきたことがよかったのかな。

主査である私のProfessorもそれは認めてくださっていたようです。嬉しい限りです。

また、のびのびと、私のペースでやらせてもらえました。焦らされることなく、誰かと比較されることなく。

誰かといつも比較されるとほんとに辛い。私は私、なのですから。

 

 

今の心境は・・・。嬉しいという気持ちは実はあまりないです。

ホッとしたというか何というか・・・。わかりません。

 


実質今日で「学位取得は決まり」なのですが、授与に向けて実はまだあと一つだけ作業が残っているのです。

これから学位授与までどうするか、明日Professorと相談します。あ、明日も18時からコロキウムだ。

2011年1月26日水曜日

ドイツの慣習に翻弄される


1月25日。とうとうプレゼンの前日になってしまいました。

私のドイツ滞在において、そして私の人生において26日は重要な日になりそうです。

 

今日は最終的な準備でお昼頃からバタバタしっぱなし。

午前中は原稿を読み上げて、記述と読む速さの最終チェック。ミスって結構見つかるものですね。うんざりー。

午前11時頃、Luisenstrasseというところの近くにあるもう一つのGermanistisches Institutに行きました。

ゲルマニスティック(ドイツ学)の研究室は2つあるのです。

もう一つは私がよく利用するところで、Herweghstrasseというところにます。そこには学科の図書館が併設されています。

今回、プレゼンテーションを行う会場はLuisenstrasseの方です。

両方の研究所は距離が離れており、移動が結構たいへんです。

昔ながらの大学町なので、各々の学部・学科の事務局や図書館が一箇所に集まっておらず、

町中に散らばっているので、複数の専攻をかかえている人にとっては授業の時移動がほんと大変だそうです。

 

Luisenstrasseにある研究室には明日の下見ではなくて、どうしても訪れなければならない理由がありました。

それはゼクト(シャンパン)用グラスがあるかどうかを確認するためです。

プレゼンテーションが終った後、論文・プレゼンの総合評価で最終的な合否が決定されるのですが、

めでたく合格した場合、簡単な祝賀会を催すというのがドイツの大学の習わしなのだそうなのです。

その際にゼクトで乾杯し、軽い軽食なども振舞われるそうなのですが・・・。

その準備、ゼクトやグラスや軽食などの調達は、当日発表する人がしなければならないとのこと。つまり私なのです。

祝賀会のみならず、一般的にお祝いの席の場合は「お祝いしてもらう人」が何もかも準備しなければならないみたいで、

例えば誕生日会もそうです。これも誕生日を迎える人が料理やらお酒を振舞わなければならないのです。

 

何度かこういう公開討論会に参加したことがあり、その後に祝賀会が催されるんだなということは知ってはいたものの、

その準備を全て当日の発表者が一人でするということは昨日まで知りませんでした。

5月に行われたエジプト人留学生の場合は、彼が既婚者であり奥さんと一緒にドイツに来ていたということもあり、

準備はほぼ奥さんとその仲間が行ったとのこと。用意周到で、たくさんの人を招いていたとのことでした。

残念ながら私は独身・・・。こんな時、やっぱり結婚して嫁さんが欲しいものですね・・・ 涙

どなたか結婚してください。って、軽々しすぎるか。

 

さて、どうしたものか・・・。

軽食等の準備は到底無理。発表が私の本業故に、とてもとても準備に充てる時間などありません。

というわけで、とりあえず私一人で出来ることと出来ないことを整理してみることにしました。

ゼクト、水、ソフトドリンク類はスーパーに売ってるので、大凡の参加人数分を買揃えればOKです。

しかし、私はアルコールを飲まないので、どのゼクトが美味しくてこういう祝賀会に用いられるのか全く知りません。

次に、飲み物だけ揃えてもグラスがないと飲めません。当たり前ですが。

内輪の飲み会であれば凝ったグラスなど必要なく、シャンパンでの乾杯でもプラスチックのコップで十分なのでしょうが、

いかんせん公的な祝賀会故にそういうわけにはいかない。ゼクト用グラスというのがあり、それを揃えなければなりません。

とはいえ、一個人がそんな30人分ものゼクト用グラスを常時持っているわけがない。

とりあえず、私が出来ることと出来ないことははっきりしました。

出来ないことは、これまで何度もこういう祝賀会をしてきた研究室の人に助け船を出してもらうしかありません。

昨日の晩、早速研究室の人(いつもコロキウムに参加している顔なじみの人達)にヘルプメールを送信しました。

1時間ぐらい後に最初の返信が来ました。なんとProfessorから。

明日(25日)にアシスタントの女性2名が研究室にいるので、彼女たちがきっと力になってくれるので相談するようにと。

 

さて、Luisenstrasseの研究室にある事務室で問い合わせたら、グラスや食器の類はないとのこと。

オマケにここの事務員、26日にそういう催しがあることすら知らないみたいでした。

何か適当にあしらわれ意気消沈。とりあえず朝から何も食べてなかったので腹ごしらえすることに。

「腹が減っては戦は出来ぬ」というものです。食事のあと、グラスが人数分手に入らないということを想定して、

ディスカウントショップに行ってプラスチック製のゼクトグラスがあるかどうか下調べすることにしました。

XENOSというお店とMäc Geizというお店を見て回ったのですが、

Mäc Geizには4つ入りで1ユーロというプラスチックで出来たゼクトグラスがありました。

Herweghstrasseの研究室には13本グラスがあるというので、20個ほどこれを買えば何とかなりそう・・・。

微かに希望が見えてきたので、Pofessorのアドバイス通りHerweghstrasseの研究室に行ってみることにしました。

 

Professorが仰った通り、2人のアシスタントの女性はいました。

 

「グラスは調達して私が明日持っていくから大丈夫なので、ゼクト5~6本と水、ジュース類を用意しておいてください」

「明日、18時回ってからになるけど、グラスを持っていって祝賀会の準備は私がします」

 

とのことでした。グラス調達の問題はこれで一気に解決!!アシスタントの女性に感謝!!!

 

さてさて、次はゼクトの種類。これについても同じアシスタントの女性から有り難い助言がありました。

Rotkäpchenというゼクトが一般的なものだそうで、そのうちtrocknenとhalbtrocknenがよいとのことでした。

ゼクトの種類についてはもう一人助言をしてくれた人がいました。

家を出る前、別のアシスタントの方から昨日のヘルプメールの返信が届き、やはりRotkäpchenがよいとのことでした。

 

最初は26日当日にゼクトや飲み物を買いに行けばいいやと思っていましたが、

今日中にゼクトだけは揃えておくことにしました。まぁないかもしれないけど、品切れになってたりでもしたら困るので。

Grosse Urlich Strasse近くのEdekaで買おうと思い店にはいると、

何とこないだデッサウ・ロスラウの旅でお世話になった友人にバッタリ出くわしました。超強力助っ人登場です。

丁度お店の入口で見かけ、話しかけたら「邪魔になるからとりあえず中で」と言われました。

この辺が普通のドイツ人となんか違う。人の邪魔になろうがお構いなしなのがドイツ人なのに。

友人は日本で1年間生活していたので、日本的な「周りに気を遣う」というものを吸収したのでしょうか。

真偽はナゾですが。今度一度聞いてみます。

 

「明日、祝賀会用にゼクトを揃えなあかんようになったんやけど・・・」と告げると、

「そだねー、Rotkäpchenなんかがいいんじゃないの。旧東独の酒だし」とやっぱりRotkäpchenを勧められました。

Rotkäpchenがよいというさらなるお墨付きをもらい、halbtrocknenとtrocknenを3本ずつ買って帰ることにしました。

友人はコーラの1リットルボトルを買っていました。

数日前までゼミの合宿に参加していたらしく、その時に毎晩ウォッカを飲んでいたとのこと。

なので、酒はしばらく見たくないらしく、私が酒を選んでいるときは別の所にいました。

「俺、ウォッカでベロベロによって、ドイツ語、英語、スペイン語、日本語をごちゃ混ぜにして話してたらしい」と友人。

強い酒を入れたことによって、相当壊れてしまったんだなーと。しばし休養が必要ですね、彼には。

 

レジで支払ってるとき、友人が一言。

 

「あーあー、金の無駄遣いだな・・・。Professorのためか。お前(私のこと)、アルコール飲めないんだよねー、確か。」

 

確かにそうかも。痛すぎる出費なのは事実。私は飲まないのに・・・。

まぁ一生に一度のことなので仕方ありませんが・・・。

 

 

友人は25日誕生日でした。ごめん、すっかり忘れてしまっていた・・・。

「俺、今日実は誕生日なんだなー」と友人が教えてくれたので、

「え、じゃあ、何かプレゼントでも。チョコレートでもどう?」って勧めると「いらん!!」と一蹴。

私が指差したチョコレートはハローレン。忘れていました。彼がこのチョコレートをよしとしていないことを。

とにかく世話になりっぱなしの友人故に、後日改めて誕生日のお祝いしてあげたいと思います。

しかし、本人は誕生日を嫌がっているようでした。

「今朝、鏡見たら顔にしわがあって・・・。俺も年取ったなーって実感したよ」

と日本語でぼやいておりました。

 

 

こんな感じで前日はノンビリ過ごすどころかバタバタ状態になりました。

しかし、とりあえず明日の祝賀会の準備は何とか協力を得られそうなので、ホッと一安心。

家に帰ったらばたんキューでした。

明日の本番、こんなんで大丈夫なのかな・・・。

2011年1月25日火曜日

直前を楽しむのも一興なり


水曜の最終プレゼンテーションに向けて、今日午後4時から再々再々予行演習がありました。

足を運んでくださったのはProfessor、アシスタントの女性、そして辞書編纂されてる男性の計3人でした。


土曜日にあったProfessorとのマンツー・マン指導で指摘された点を原稿に反映させ、原稿はほぼ完成。

来てくださったのは3人でしたが、本番と同様の準備で最終予行演習、本当のゲネプロに臨みました。

 

 

さてさて結果は・・・。

プレゼン時間は規定時間内(30分)に収まりました。

問題点は、パワーポイントの内容と形式が若干変だったので、その修正(と保存)をしたぐらいです。

土曜日の修正点ですが、アシスタントの女性と男性に「結び、めっちゃわかりやすかったよ」と言ってもらえ評判上々でした。

土曜日と月曜日の2日間、とても忙しい中時間を割いてくださったProfessorには感謝感謝。

今日部屋を訪れると、円卓の上には厚さ5センチ以上の製本された書類が山のように積まれていました。

それを来週の水曜日、木曜日ぐらいまでに処理しないといけないとか。

今日の私の練習後にも病院に行かないといけないらしく、終わった後大急ぎで部屋を出て行かれました。

やっぱり相当体を酷使されてるのかな

 

 

予行演習にしろ、これから迎える最終プレゼンテーションにしろ、人生でたった一度しか経験できないイベント。

結婚式は・・・。まぁこれは場合によっては何度もする人がいるので何とも言えませんが・・・。

確かに不安はあります。まくし立てるようなドイツ語で質問されたら答えられないとか云々・・・。

でも、なぜか今は不安よりもワクワクしています。一通り準備はやり尽くしたので。

 

明日は・・・。厄介なのが一つ残ってるんやけど・・・どないしたもんかな・・・。

2011年1月23日日曜日

Exa 0 試写


今夜だけ、ゆっくりブログを更新したいと思います。
水曜日にExa 0で撮った写真の現像が出来上がったので紹介したいと思います。

フィルムはdmで売っていたParadies ISO200 12枚撮り(65セントでした)で、
使用レンズはMeyer Domiplan 2,8/50です。Exa 1aについていた超安物レンズです。写りは悪くないけど・・・。



ウェストレベルファインダーはExa 1aのに しました。Exa 0用のは凄まじく重いので。
たぶんExa 0用のファインダにTessarなんかつけて、長時間肩からぶら下げていたら肩こりになるかも。


間違えて露光計のダイヤルをISO400にしたままで絞りを調整してしまい、露光オーバーで全部ダメかなと思いましたが、
綺麗に撮れていてほっとしました。経年劣化による光漏れ、シャッターボックスの異常等はないみたいです。
露出計が指定した絞りよりもやや絞り気味に設定したから酷いオーバーにならなかったのかな・・・。
私はミスしたものの、それでも露光はほぼ正常なので、シャッター速度もまぁまぁ正確なのでしょう。

ピント合わせ、もうだいぶ板に付いてきたかな。
明るかったので絞りに絞りまくったし、殆ど∞での撮影だったので、ピンぼけになることは殆どないわけだけど・・・。
それ故、被写界深度が深くて、3枚目なんか手前も奥もバッチリピントが来ていますね。

 

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再々再練習

 

昨日の晩は凄く寝付きが悪かったー。

というのも、今日の再々再練習が上手くいくかどうか不安でならなかったからです。

金曜日、勢いで修正作業をやり終えたとはいえ、上手くいくかどうか、やっぱり不安なものです。

 

朝から飲まず食わずで原稿、ハンドアウト、パワーポイントを隅々まで再度チェック。

正午過ぎ、隣人がいなくなったのを見計らって、3度ほど原稿読みの練習もしました。

原稿はだいぶスリムになり、追加事項もハマりました。読み上げて「いい感じだな」というのを実感しました。

声を出すとさすがに疲れます。しかし、ベッドに入って仮眠をとろうとしても、10分ほどで目が覚めてしまいました・・・。

何かしていないと落ち着かないので、カメラを手にしてシャッターの空切りをして時間を潰しました。

 

午後4時15分頃家を出発。

Germanistisches Institutについたのが午後4時45分頃。既にProfessorは到着されていました。

数階建てのInstitutに、今日は私とProfessorが2人だけ。こういうことってドイツでは異例中の異例なので。

木曜日にとんでもない醜態をさらしてしまった私のために、お忙しい中わざわざ時間をとってくださったのです。

聴衆はProfessor一人でしたが、ハンドアウト、プロジェクタ、パソコンを用意し、本番さながらの準備。

午後5時丁度に練習が始まりました。

 

午後5時26分頃に原稿の読み上げ終了。

Professorの表情が緩みました。「木曜日よりも凄くよくなっている。もう少し手直しがいるけど」と及第点を頂きました。

木曜日は「期待外れだった」と言われ、Professorの顔も曇り気味でしたが。

中一日の修正、なんとか実ったみたいです。

修正ポイントの説明を受けた後、26日本番前に何をしておくべきか指示が出ました。

月曜日はもう一度Germanistisches Institutで練習。火曜日は家で読み上げ練習。

そして水曜日は本番。本番は18時からなので、午前中に少し見直して、

18時までは一切何もするなと。散歩するなり、お茶を飲むなり、ケーキを食べるなりして過ごしなさいとのことでした。

26日の午前中は一人ゲネプロになりそう。

ゲネプロと本番の間ってなんだかワクワクして楽しいんですよね。

演奏会時だと舞台上で写真撮影したり、楽屋に戻ってお弁当食べたり、プレゼントを渡したり。

 

とりあえず、本番に向けて原稿の目処は立ちました。

プレゼンテーションの体裁も何となく整ってきました。若干微調整が必要だけど。

 

 

今夜は少しノンビリ過ごすことにします。

2011年1月21日金曜日

ドイツ人とのやり取り -後日談-


先日(19日)の記事の後日談です。

GLSに電話した19日午後から早速再発送作業に取りかかってくれたようで、

20日の午前10時頃無事届けてくれました。

 

GLSの配送が来るのは今回が初めて。

Hermesは確かZeiss IkonのNettarを買った時に来てくれました。

DHLは日本からの荷物でいつもお世話になってます。

 

 

さてプレゼン準備。無駄に悩むより、とりあえず原稿を作ってみることにしました。

まぁ原稿に向かってるうちに何とかなるだろうと。

まず、喋る時間の短縮のため、冗長な表現は徹底的に省く作業から。

無駄な言い換えや言い回し。これを削るか、出来るだけ一つにまとめる作業。

プレゼンは30分以内という制限があります。

しかし、30分メイ一杯使うのではなく、3~4分余らせておくようにというお達しがでています。

さらに喋る速さ。12月の練習時は「遅すぎる」と言われ、20日の練習には「早すぎる」と言われました。

指摘してくれた人が同じだったので、心の中で「一体どっちやねん!!」と一人で突っ込んでました。

削りに削りまくって、主要部分はかなりスリムになりました。

次はその削った内容の時間分に指示された内容をを埋め込む作業。

どこにどうやって埋め込めばいいのか、一番厄介な作業でしたが、

何だかんだで、思いつくままに進めていくうちにそれらしい体をなしてきました。

この「思いつくままに進める」というのが重要なのです。糸で引っ張られていくようにすいすい進む感じ。

この状態になるには「もがく」よりも「待つ」しかないのですが、今回早くにこの状態が来てくれました。

直前故に早く来たのかな。これがひょっとしたら追い込まれた時に発揮される「火事場のクソ力」というものなのかも。

 

さて出来上がったものですが、「こんな感じでいいんじゃないかな」と私は納得ですが、聴衆はどうか・・・。

まぁ、これがダメでも月曜日に第3弾のゲネプロがあり、日曜日まるまる一日準備に充てることが出来る。

今日改訂した原稿が土曜日にオッケーがでればラッキーだけどな・・・。

まぁ、どうなるかわからんこと、考えても意味ないか。

中一日でちょちょいと修正をやり遂げた自分をまずは評価しよう。

 

 

というわけで、土曜日17時に行ってきます。

寒いなー。外出たないなー。あー、写真撮りに行きたい!!

フルボッコ


26日、最終決戦。まだ仮決定ですが一応・・・。 最終決戦は持ち時間1時間のプレゼンです。

今日は予行演習。演劇や演奏会の本番前の通し練習を「ゲネプロ(Generalprobe)」といいますが、そういうものかな。





聞き取りが苦手なので、そのトレーニングばかりしていたのですが、原稿内容の校正を怠り、

予行演習時後は駄目出しの集中砲火を食らいました。

聞き取りも、ここに来て耳がバテてきたのか不調・・・。

とはいえ1ヶ月前よりかはかなり改善されました。

終わったあと、しばし頭を抱えて「うーん」って唸りましたが、

まぁ自分が怠った結果故に立ち直りは早かったです。

何より、私ごときの最終決戦に、みんな真剣になって駄目出ししてくれたのが凄く嬉しかった。

ちょっとでもこいつのダメなプレゼンをいいものにしてやろうというのがひしひしと伝わってきました。

口頭試験の際、試験記録係だったアシスタントの女性が、娘さんを連れてゲネプロに足を運んでくれました。

子供さん、たぶん2人ぐらいいらっしゃる方。お母さんとして忙しくされてるにもかかわらず。 

娘さん、まだ3歳か4歳ぐらいじゃないかな。挨拶しようとしたら人見知りなのかお母さん(女性)の後に隠れちゃいました。

殺伐とした状況になってもおかしくなかったのに、この子がいてくれたお陰で場が少し和んでいました。

小さい小さい助っ人に感謝です。




先週に続き、スロバキア人の友人もゲネプロに参加してくれました。

同じ外国人故、しばしば励ましの言葉をかけてくれます。

先週、ドイツ人の女性が発表した折、やたらとドイツ語の接続法の質問をして発表者と聴衆を困らせていました。

彼の関心領域とはいえ、ちょっと発表テーマの趣旨とは大きくずれた質問だったので。

そして今回、私のプレゼン後にもまたまた接続法の質問が(若干関連する部分があったので・・・)。

“Konjunktiv” という用語がでるやいなや、他の人達が顔を見合わせニヤニヤしだしました。

「いやー、(先週に引き続いて)またかいな・・・」って具合に。

私にとっては有り難い質問なので真摯に答えなければいけなかったのですが、

ついついまわりの雰囲気につられてにやけてしまいました。


でも彼は大まじめなのです。「外国人故に、聞いて、わからんことはどんどん質問していかにゃ」と。

確かによくできて真面目な人。一緒にでていた授業でもいつも講義室の一番前で聞いていました。

私も見習わないとな・・・。

 


しかし、あまり日がないのにこの様とは・・・。情けなや・・・。

まぁでも、全否定されたわけではないので調整次第で何とかなる。 全部やり直しーだと泣きたくなりますが。

それに、おっちょこちょいの私がいつもやらかすショーもないミスも結構あったので、

「本番上手くいくために、ここいらで膿を全部出しておけ」という何かのお導きなのかもしれない。

フルボッコにされた部分にのみ目を向けて凹まないよう自分をコントロール。

そして土曜日の再予行演習に向けて再始動です。




泣いても笑っても最後のわけですからね。

さぁ、苦しみながら楽しむか!!!

2011年1月20日木曜日

ドイツ人とのやり取り


とあるところで商品を注文しました。1月4日に。

今日は1月19日。未だに到着していない・・・。到着予定日が14~18日となっているにもかかわらず。



先月の出来事が頭をよぎりました。

先月露光計を買った時、GLSという配送会社が届けてくれることになっていたのですが、予定日なっても届きませんでした。

購入元に配送番号を教えてもらい、近くの小包受付所(酒屋さん)で保管されていることがわかりました。

このGLSという配送会社、不在であっても配送番号が書かれた紙すらポストに投函してくれなかったのです。

購入元も私が問い合わせるまで配送番号を教えてくれませんでした。

日本じゃ会社の大小問わず、オンラインで買い物したら配送番号は配送完了メールに添えられるものですよね。

日本とドイツの違いなのかな・・・。



このGLSという配送会社もかなりいい加減。

DHLやHERMESはきっちりしてるのにな・・・。



さて今回の件。

お店に2度ほどメールしましたが返事無し。今日「何故返事しないんですか」と書き添えて再度メールを送りました。

そうしたら、今回はなぜかすぐに返事が来ました。しかし内容を見て唖然・・・。

「今仕事の途中です。配送番号、週末に確認します。GLSで送りました」と。




GLS??? あの、GLS???

週末? とっくに到着予定日は過ぎとるんやでー。




ひょっとしたら前のように酒屋さんで保管されてるのではと思い行ってみました。家から500m程の所にあります。

しかし、残念ながらありませんでした・・。お店のおばちゃん(私の顔を覚えてくれている)も探してくれたけど・・・。

家に戻りGLSに電話してみましたが、配送番号がないので相手にしてもらえず。

とりあえず、もう一度お店にメールしてみることに。「え、週末?一体いつまで私を待たせるんですか」と、

少々不満げな雰囲気で。 週末まで待たせるなんてまともじゃないですよ、ほんとに。

その雰囲気が通じたのかどうかわかりませんが、2時間ほどで配送番号が添えられたメールが来ました。



早速追跡してみると、何と10日に到着しており、「受取人不在→小包受取書保管→倉庫保管」となっていました。

GLSに電話し、商品が本当に倉庫保管になってるのかどうか再確認。

保管されているということなので、明日届けてもらうことにしました。しかし、午前なのか午後なのかはわからないとのこと。




配送番号をこちらが訊ねるまで伝えない。到着予定を過ぎていてもそれを気にしない。

これがドイツ人なのかな・・・。

2011年1月16日日曜日

Tauwetter


数週間前のドカ雪はすっかり溶けてなくなってしまいました。
雪も溶けて、最近は春のようなポカポカ陽気ですが、その一方でドイツ各地では今洪水被害が深刻です。


私がいるハレにもザーレ川が流れていますが、水面が7メートル上昇して河畔の地域は浸水してしまっている模様。
一体今どの様な状況なのか見に行ってきました。




まずは平常時のザーレ川です。

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2008年10月撮影

 

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2008年10月撮影

 

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2008年10月撮影

 

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2009年1月撮影

 

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2009年1月撮影

 

 

そして、次が現在のザーレ川の様子です。

 

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2011年1月16日撮影

 

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2011年1月16日撮影

 

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2011年1月16日撮影

 

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2011年1月16日撮影

2011年1月15日土曜日

Exa 0 -Exa 1aの祖父-

しばらくカメラは買うまいと堅く決心したのですが、ついついeBayでの出品チェックをしてしまいます・・・。
次にゲットしておきたいものは既に決めてあったので、その価格調査をしていました。


ちょっと泊まりがけの旅に出たら、中古カメラ数台は買える出費が出るし、
それに元々泊まりがけの旅よりも日帰りの旅の方が好きなので、カメラ集めに熱を入れてもよいかなーと。
もともと機械が好きなので。機械イジリも大好きです。



さて、そのお目当てのカメラですが、去年10月に購入したExa 1aのさらに古い世代にあたるExa 0というものです。
1950年代にIhagee社が高級カメラExaktaの普及品として世に送り出した非常にコンパクトな一眼レフカメラです。
コンパクトだけど、今のカメラではありえないボディは全て金属製です。


ネームプレートに特徴があり、Exaという名前がエンボスになっているのと金属に彫刻されているものがあります。
特にこの2種類に人気が集まっており、今でもオークションで完動品がそこそこの値段で取り引きされてるとのことです。
それと、特に50年代のドイツ製カメラは性能がよいものが多いそうで、よい値がつきやすいそうです。



「3000円ぐらいで手に入ったらいいなー」とeBayをチェックしてきたのですが、
どれもこれも最終入札に5000円を超えるものばかり。状態が不明瞭なカメラに3000円以上払うのは博打同然なので、
これまで3000円を超えると入札をやめていました。無駄遣いを控えるために自分で決めたルールかな。
即売品も5000円ぐらいするし、入手は半ば諦めていました。


一昨日も一台Exa 0が新しく出品されました。価格は即売で35ユーロ。即売品にしては悪くない価格。
というのも、即売だと50ユーロ以上が相場。たまに150ユーロ近いものがあります。
こんなの気まぐれに興味を持った私なんかにはとてもじゃないけど手が出ないし、第一勿体ない・・・。 
しかしこの商品は送料が高い。7,9ユーロ。重量があり、さらに厳重に梱包されてくるとはいえこの送料は痛すぎます・・・。



昨日もこの商品を「いいなー」と思いながら見ていました。ポチポチボタン押してるうちに、商品の発送元がわかりました。
それを見てすっごく驚きました。なんとそれはハレ。私が今いる町ではありませんか!!
出品者の評価も悪くなく、商品に関する質問をしてもすぐに返ってくるとあったので、コンタクトをとってみることにしました。



一回目のメールはなんと10分後に返信が来ました。
数度やり取りするうちに、出品者が本当にハレ在住で、町の南部に住んでいるということが判明。
さらに、実機を見て触って購入を決めたいと申し出るとOKしてくれました。
実機を触れる触れないは非常に重要。早速14日に町の南部Rannischer Platzの銀行前で待ち合わせることになりました。



14日午後14時。路面電車が若干遅れたものの、無事に出品者に会うことができました。私より少し年上の男性でした。
天気が悪く、雨が降っていたので車の中での商談となりました。 ちょっと怖かったけど・・・。
車に乗った時、小型のマルチーズに思いっきり歯を剥きながら吠えられましたが・・・。私は犬にも人気ないのかなー。
そしてExa 0と対面。思っていた以上に小さく、小さいんだけど何とも言えない重量感がありました。



Exa 1aのいわば祖父に当たる機種故に、Exa 1aと操作は殆ど同じ。フィルム巻き上げダイヤル式なだけです。
本体はややくたびれ気味なものの、シャッターはちゃんと降りるし、シャッター速度も目測だけど低速から高速まで問題なし。
ミラーも若干経年劣化がみられるものの、像確認には差し支えなく明るい。
近距離、中距離、無限大とピント合わせしてみましたがちゃんと出来ました。十分使用に耐えうるものです。
レンズはヘリコロイドがすかすかでかなり使いにくい状態でした。絞り、ピントはちゃんと合わせられるのですが・・・。



Exa 0以外にもう一台出品されており、それも触らせてもらえました。
もう一台のはExa 1cというExa 1aのさらなる廉価版です。ボディの大半がプラスチック製になり、品質がよくないことで有名。
それもそのはず。旧東独の計画経済が破綻してきた80年代の製品。労働者の労働意欲も低下し、
旧東独のカメラ史ではあまりよろしくない時代とされているようです。



触らせてもらったExa 1cはレンズマウントM42のPentacon 1.8/50mmというのがついていました。
このレンズ、実は密かに前々から注目していたものの一つです。まず開放値が1.8とレンズがとても明るい。
さらに接写距離がCarl Zeis Tessar 2.8/50mmよりももう少しだけ短く、マクロレンズの代わりになりそう。
しかし、見せてもらったカメラのPentaconレンズは距離環がベタベタで、重くて殆ど回すことが出来ませんでした。
絞り環はよかったのに・・・。でも、2台も手に入れるつもり、最初からなかったですが。



Exa 0はシャッターユニットに致命的な経年劣化は殆どなし。シャッターも綺麗に降りるし、ミラーボックス内も綺麗。
さらにIhagee純正の速写カバン付きだったので購入を決めました。






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これがそのExa 0です。製造ナンバーから1955年代のものであるということがわかりました。56年前のカメラですね。
先代のExakta、特にKine Exaktaと呼ばれる機種があまりにも高級すぎたため、戦後作られたのがこの普及版です。
写真のレンズはExa 1aに元々付いていたMeyer Domiplanです。開放は壊れてますがf 4.0以上ならまだ使えるレンズです。
この機種は正真正銘Ihagee製らしい。Exa 1aは既にIhageeがPentaconに吸収された後の製品なので、厳密にはPentacon製。




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空のフィルムケースと並べてみました。フィルムケースの高さが約5㎝なので、カメラの高さはやや高い7㎝ぐらいかな。
横幅は12㎝。一眼レフ機としてはかなり小型の部類に入るカメラではないでしょうか。 私の手のひらにすっぽり収まります。
Exakta、Exaシリーズでは定番の左シャッター。構えた感じですが、小柄なので手が大きい男性にとったら持ちにくいかも。
Exa 1以降でサイズが大きくなったのはそれ故なのかもしれませんね。



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孫に当たるExa 1aと記念撮影。Exa 1aの親に当たるのがExa 1で1962年から1964年にかけて製造されたそうです。
Exa 1aは1964年から登場します。私のはその第4世代目のものだそうです。祖父のExa 0の方がややボディーは小さいです。
可愛いボディーだけど、ズシリと重くて高級感がある(ホントは50年代の安物カメラだけど)のが人気の要因だそうです。
レンズマウントは共にExaktaマウントなので、Exa 1aのテッサーをそのままExa 0に取り付けることができます。




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そしてExaといえばやっぱりこのウェストレベルファインダーです。こちらもフルメタル製で凄く重いです。
細部までよくできており、とてもいい仕事しています。 元のオーナーの手入れの賜というのもあるかもしれませんが。
埃がたまってるので、もう少し後で時間が出来たら掃除するか、存命のため一度オーバーホールに出そうと思います。
シャッター速度はB~150と低スペックなのは孫のExa 1aに引き継がれています。まぁこれは仕方ない。




光漏れがないか諸々の機能をチェックしたいので、後日12枚撮りのフィルムでテスト撮影したいと思います。
しかしこれほど物欲を満たしてくれるものは今までなかったなー。

2011年1月1日土曜日

新年明けましておめでとうございます


新年あけましておめでとうございます。

いつも訪問ありがとうございます。当ブログも早いもので5年目を迎えました。

2011年も管理人共々宜しくお願いいたします m(_ _)m

 

平成23年 元旦






年末に「よいお年をー」とか、

年始に「あけましておめでとうございます」って言ってくれる人が誰もいない。

たぶん、このまま部屋でひっそりと死んでても、

帰国後ひっそり死んでても、

誰も気付いてもらえないんだろうな。

そして、弔問に訪れてくれる人すらいないんでしょうね。



宇宙の塵、世間のゴミみたいなもんだから、別にいいのかな。

これからもずっと、そういうものなのかもしれませんね。

 

 

2010年 総決算


時差の関係でドイツはまだ新年ではありません。
あちこちで花火が上がってるみたいですが。フライングでしょうかね。ちょっと気が早い。


困った隣人も、早朝から料理を作り、どこかへ出掛けていきました。ということで今は部屋で一人でノンビリです。
とはいうものの、孤独というか孤立してしまってる今の状況、寂しいものです。
いい加減、現実世界において人間関係を広げていかないといけないと思いつつも。でも、面倒くさいことでもあるのですよね。



さてさて、大晦日ということで一年の出来事を振り返りたいと思います。



今年の一大事といえば、前年からずっと待ちこがれて「大きな山」をまずは9月に、そして10月に動かせたことです。
長期滞在の最終目的達成に至るまでの課題を一つずつ消化でき、近年ずっと停滞中だった状態が少し進んだ感じです。
何度も「もうダメだ」と諦めかけましたが、この過程において激励し助力してくれた方々には感謝の気持ちで一杯です。




でも何より素晴らしかったことは、今年一年私と日本にいる家族(両親)共々ずっと健康でいられたことです。
そして、私と現実世界及びネットの世界で関わってくれた皆さんが健康でいられたことです。

心身が健康でないと、正常な判断で、泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり出来ませんからね。

健康がとにかく第一です!!