2010年12月31日金曜日

食べ物 & 生き物を粗末にするな!!


極寒(-6度)の中、勇気を振り絞って散髪にいってきました。大げさかもしれないけど・・・。
子供の頃から30日前後に散髪屋さんにいって髪を切ってもらうのが毎年恒例行事になっています。

昔、祖父母宅に年始の挨拶に訪れる際、祖母に「年の初めぐらいサッパリしてこい」って怒らないために切っていたのを、
祖母がいなくなってからも続けていたため慣習化してしまったのかもしれません。 
しかし、これはひょっとしたら私だけじゃないかもしれませんね。新年を迎えるにあたり髪をさっぱりするというのは。


ドイツではお正月というのは重要視されていないので(皆で飲んで騒いで花火あげて、元旦には寝るだけ)、
新年に向けて髪を切ってサッパリしておこうという人はあまりいないのか、それかだた今日が寒すぎただけなのか、
散髪屋さんはガラガラでした。午前10時頃にお店に着いたらすぐに始めてくれました。



散髪については度々当ブログでもネタにしてきましたが、行きつけのお店の理髪師さんは皆さん女性です。
しかし、今日初めて男性の理髪師さんを発見。3ヶ月ぐらい前にはいなかったので、最近入店されたのかもしれませんね。
普段は髪を切ってもらっている間に理髪師さんと会話することは全然ないのですが、今日は珍しく機会がありました。
といっても「長いことほおったらかしにしていたでしょ」と聞かれ、「いや、時間なかったものですから・・・」ぐらいのものですが。


サッパリスッキリして帰宅。っとその前に、部屋履きのスリッパを買いにいきました。



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スリッパの先の部分が割れてしまいました。それも五本の指が「こんにちは~」出来るぐらいに。それも両方。
それに、布製だったのでとんでもなく臭くなっていたので、いつか買い換えないとなと思っていたところでした。
写真が今回購入したスリッパ。ゴムサンダルといったほうがいいのかな。ぶ厚いゴム底が付いていて壊れにくそうです。
こういうゴムサンダル、ドイツ生活には欠かせません。あ、生活だけでなく旅行の時なんかにも便利かも。




さてさて、あまり他人の悪いことは書きたくないのですが今回は少しだけ書かせてもらいます。

今私が住んでいる家の隣人は人として最低な人間なのです。 医学部生です。
「最低な人間」と書くからにはさぞかし理不尽な経緯があったと思われるかもしれませんが、ここで詳細は割愛します。
ドイツではよく鉢植えにされたハーブがスーパーで売られています。例えばバジルとかペパーミント等。
鉢植え故に水さえあげて管理さえちゃんとしてあげれば育って生き続けてくれるものです。

隣人も時々買ってきてキッチンに置いていました。料理にでも使うのかなと思っていました。
キッチンに緑のものがあるというのはこれはこれでなかなかよいものです。 私も料理の合間によく眺めていました。
ところが、いくら経っても料理のために使われない。葉が摘み取られた形跡がない。どういうことだ。


生き生きとしていたハーブは水も与えられず、数日後には枯れてしまい、ある日キッチンをみたらなくなっていました。
そう、捨てられてしまったのです。そういうことが過去2度ほどありました。

鉢植えのハーブとはいえ生きてるんですよ。命ある植物なんですよ。

これには毎度毎度あきれ果ててしまい、悲しい気分になりました。
まともな隣人であれば代わりに水をあげてもよいのですが、頭のおかしい隣人なのでさすがにそんなことする気は起きません。
カーッとして、どちらかが手を出して、それで滞在がパーになったら勿体ないですから。


しかし、言葉はしゃべれなくともちゃんと命のある植物を管理することなく枯れたらゴミ箱にぽいなんて・・・。


これって、人の命を預かろうとしている人間のすることでしょうか。
人が健康になるよう助言したり手助けする人間のすることでしょうか。



もしこの世に「天罰」というのが本当になるのなら、是非この人間に落としてもらいたいものです。

2010年12月28日火曜日

真夜中の訪問者?


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朝起きて窓を見たら、新雪の上に小さな足跡を発見!!

訪問者、見たかったなー。

2010年12月25日土曜日

Zeiss Ikon Nettar


10日ほど前にeBayで競り落とした蛇腹カメラが昨日届きました。


先週末の寒波で、欧州の輸送網が大混乱に陥り、そのせいで競り落とした商品がなかなか届かなかったのですが、
友人宅にいる間そのことをすっかり忘れてしまっていました。



競り落とした蛇腹カメラはツァイス・イコン製のもの。ツァイス・イコンはレンズ専門の会社と思われがちですが、
昔は結構一眼レフやレンジファインダー、それに蛇腹カメラなんかを作っていたそうです。




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これが届いたZeiss Ikon Nettar。1950年頃に作られたカメラだそうです。
当時発売されたZeissの蛇腹カメラの中では最廉価版だったそうで、今回も2000円ほどで落とせました。
元々の持ち主はバーデン・バーデンのお医者様だったらしい。 専用速写用皮ケース付きです。




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大きさは横幅が大体14㎝ぐらい。上着の内ポケットだったらすっぽり収まるサイズです。
今のちょいと大きい目のデジカメぐらいです。




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蛇腹を開いてみたところ。凄い状態がよく、実際手にした時驚きました。
蛇腹の開閉もスムーズ。レンズも綺麗。シャッターも絞りも問題なく動いてくれています。
あ、このカメラ6x6の中版カメラです。




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レンズもやっぱり最廉価版らしいです。上位版のIkonta なんかになるとそれこそTessarが付いていたりするのだとか。
まぁその分値段も凄まじいことになるらしいけど。中版カメラ初心者ならNettarでよいのかも。
上の写真はレンズ部分を拡大してみたものです。どのダイヤルのどの数値が何を表わすのかは大体わかりました。




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レンズ部分を後ろから写してみました。25という数字のすぐ上に金属の突起が見えます。
これはシャッターレバーです。手前に引くことでシャッターチャージとなります。速度はBから200までです。
シャッター速度も特に問題なさそうです。




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裏面。上の四角い穴はファインダー。一眼レフと違い飾りみたいなもので、構図決定には糞の役にも立たないのだとか。
中央の小窓はフィルム枚数を確認するためのものです。撮影ごとに自分で一枚一枚巻き取っていかないとだめらしい。
この辺が廉価版だからだそうです。上位機種になると便利なのかな。



中版フィルムは高いし、まず普通に手に入れることができるのかどうかわからないので、
当分試写はしません。それに仮に試写できても現像してくれるところがあるのかどうかわからない・・・。

しばらくは眺めたり、シャッター切って一人で喜んでおきます(笑)。

2010年12月24日金曜日

造船の町 ロスラウ


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造船工場は規模を縮小して、今日ではヨット工場として稼働しているとのことです。

この裏手に造船博物館があるそうなのですが、特別な日しか開いていないらしくこの日は入れませんでした。

 



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造船所下にかつてあった港付近から撮影した鉄道橋。デッサウ方面からの電車はこの鉄道橋を渡ってやってきます。

友人のおばあさんは、子供の頃よくこの場所で泳いで遊んでいたのだとか。川の流れに逆らって対岸まで渡ったなんて凄い。

友人も子供の時、この辺りでよく船の進水式を見に行ったと言ってました。

 

河畔を離れ、友人がかつで住んでいた地域に連れて行ってもらいました。

その近くに今でも連絡を取り合っている幼なじみが住んでいるとのこと。最近連絡が来ないので心配しているとのこと。

その幼なじみが住んでいる集合住宅にも寄ってみました。結構大きい敷地に3階建て程の集合住宅が建っていました。

裏手には中庭がありが、そこで友人は幼なじみとよく遊んだのだそうです。

しかし壁が崩壊し、ドイツが再統一された後、そこの住人は幼なじみの家を除いて全部西側に引っ越していったとのこと。



「悔しいね。子供時代の思い出の場所がこんなだよ。みんないないんだよ。悲しすぎる。泣けてくる」

無惨に変わり果ててしまった、昔の思い出がいっぱいつまった場所を目の前にして友人は悲しげでした。



自分が住んでいた国がある日突然なくなる・・・。友人はそういうことを物心が付いた頃にしっかり経験しているのです。

しかし、子供心によくわからなかった部分もあるのではないでしょうか。

それまで仲良く遊んでいた友達とその家族が、ある時期を境に続々と自分の周りを去っていく・・・。

まわりの大人達は国営工場の閉鎖で職を失い、急激な西側文化の流入に戸惑いを見せている・・・。

大人の事情で子供の心には何かよく理解できない寂しさと悲しさだけがたまっていく・・・。そんな感じだったのかな。




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その後友人宅に戻りお昼ご飯を頂き、身支度を調えて3日間お世話になった友人宅を後にしました。

なんか実家に帰ったような雰囲気で3日間過ごさせてもらい、苦戦続きだったこの一年の疲れを癒すことができました。

友人と彼のおばあさんの手厚いもてなしにホントに感謝です!!

街並み


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町教会(プロテスタント)


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魚+船+熊+斧 その意味は?


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何の解説もなく魚、船、熊そして斧(刺さってないけど)の写真を並べてきましたが、

実はこれらはロスラウ市の紋章に関係したのです。川はエルベ川。魚と船はエルベ河畔の町らしく造船と漁業を意味し、

熊はアンハルト候の紋章で、ここがアンハルト地域の一つであるということを意味しています。

Denk mal! & Denkmal


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ドイツ流の掛詞かな。

斧はどこにいった?


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ここは旧市庁舎にあった歴代市長の部屋の窓。その隣に小さな穴が空いていますね。

昔、というか2007年にデッサウ市と統合するまでここに斧が刺さっていたのだそうです。

その斧、今はデッサウにある市庁舎の市長室にあるのだとか。


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Roßlau 旧市庁舎


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冬景色


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Burg Roßlau


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小川


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3日目 ロスラウ観光


ユンカース技術博物館の見学はかなりハードだったため、2日目の夜はぐっすり眠れました。


3日目。いよいよデッサウ・ロスラウの旅最終日。友人が生まれ育ったロスラウを案内してもらいました。



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ロスラウは造船業だけでなく磁器工場もあったそうです。しかしロスラウ磁器の工場は閉鎖され、

流通しているものも少ないため結構貴重なものなのだとか。

写真はその工場跡。左手奥は磁器工場の歴代社長が住んでいた家で、今は廃墟になっているそうです。

 

 

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Nordstrasse。昔この通り沿いにロスラウのお金持ちが家を構えたのだとか。

奥に見える茶色い建物は昔の粉ひき小屋で、今は老人ホームとして用いられているそうです。

タトラ社製トラック?


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エンジン色々


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家電


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元々ストーブを作っていた会社だった故に、航空機事業を始めた後も湯沸かし器やオーブン等の家電も作っていたようです。

写真真ん中に見える筒状のものはボイラー装置&シャワーです。燃料は薪。下から火を焚いて湯を沸かしていたのかな。

 

 

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筒状の装置の横にあったこのボール状のもの。これは一体なんでしょうか・・・。

 

 

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Kugelwaschmaschine。球状洗濯機でした。1920年に製造されたものだそうです。

洗濯できる衣類の容量は4キロ。25リットルの熱湯で洗うことが出来たそうです。

JU52


格好いい航空機を目の当たりにして、友人と私は童心に返ってキャッキャ喜んでいました。

足下がだんだん冷えてきたので(新雪の上を歩いたため、靴がグショグショ)、博物館の中に入ることにしました。

入場券は一人3ユーロ。割引で半額になりました。これに写真撮影料として別途2ユーロ取られました。

 

 

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建物の中央に思いっきり羽を伸して鎮座しているのはJu52というユンカース社を代表する航空機でした。

初飛行は1930年。30年代にはルフトハンザの主力旅客機として大活躍したそうです。

 

 

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エンジンはBMW製。BMWは今日自動車メーカーとして有名ですが、元々は航空機エンジンメーカーでした。

ちょいと見えにくいですが、BMW社のマークが付いています。

 

 

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ジュラルミン製の翼。金属板は波打っています。ユンカースが得意とした構造なのだとか。

 

 

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中にはいることも出来ました。傾いていて怖かったけど・・・。何人ぐらい乗れたのかな。

 

 

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コックピット。

Junkersの航空機


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ユンカース ルフトハンザドイツ航空の祖


マリエン教会の後ろには城跡があります。そこは1918年まで存在したアンハルト公国の居城でしたが、

第二次大戦の空襲で殆ど破壊されてしまいました。部分的に残った建物は、市の歴史博物館として利用されています。

その歴史博物館にいくというプランもあったのですが、入場料が高かったのでパスすることに。3ユーロはちと高い。



そもそもなぜデッサウは第二次世界大戦時に空襲の標的にされたのか。

日本でもそうでしたが、ある町が空襲の標的にされた理由の一つとして軍需工場の存在をあげることができます。

例えば私の故郷である大阪には、大阪城の東側一帯に東洋一と謳われた砲兵工廠がありました。

その他の町でも、軍需工場がある地域は徹底的に空襲で破壊されたそうです。

ではデッサウにはどの様な重要軍事関連施設があったのか。

 

 

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デッサウにはフーゴー・ユンカース(1859-1935)が設立した航空機・エンジンメーカーであるユンカースの工場がありました。

ストーブ作りから出発したこの会社は、その後ディーゼルエンジンを制作し、20世紀初頭に飛行機を作りを始めます。

しかしフーゴー・ユンカースは航空機作りだけでなく独自の航空会社を作ろうという計画をも持っていたようで、

それはJunkers-Luftverkehl-AGという航空会社設立によって実現されます。

そしてJunkers-Luftverkehl-AGは その堅牢性と安定性故に、20世紀初頭における世界最大の航空会社になりました。

後にドイツにもう一つあった航空会社Aero Lloydと経営統合し、今日のルフトハンザドイツ航空が出来ました。



ユンカースは旅客機だけでなく戦時中にはドイツ空軍に軍用機も供給しました。

その殆どがデッサウの工場で作られたので、大戦中に空襲の標的とされ、工場の殆どは破壊されてしまいました。




市立歴史博物館を後にした私と友人は、このユンカース博物館(Techinikmuseum Fugo Junkers)を訪れることにしました。

町の中心部から結構離れたところにあり、路面電車とバスを乗り継いでひたすら西へ西へと向かいました。

しかし、乗ったバスが博物館近くの停留所に止まらないバスだったので、博物館前までは徒歩での移動となりました。

足下は深い雪。そして吹雪。このまま遭難してしまうんじゃないかなーって思うような状況で2キロぐらい歩いたら、

ようやく博物館の入口を示す看板(写真)が見えてきました。

降参の証

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よーくみると時計の上に砲弾がめり込んでいます。

これはいつの戦争だったかな、この砲弾をみたデッサウの人達は戦意喪失して降伏したそうです。