2011年2月27日日曜日

テレビ塔とマリエン教会

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DDR博物館を堪能した後、次にどこへいくかあれこれ考えました。

修復されたイーストサイドギャラリーに行くか、飛行機や電車の車両を見に技術博物館に行くか・・・。

結局、前々からやってみたかったカメラ屋巡りにすることに。アレクサンダー広場まで歩きそこからUバーンで移動。


4件ほど回りましたが、よいカメラに巡り会うことは出来ませんでした。

どのお店も中古カメラの種類は少なく、あったとしてもライカ等の高級品しかなくて手は出ない・・・。

ドイツでも日本同様カメラ屋は衰退しつつあるのかな。量販店の方が種類も多く価格が安いから客が流れるのかも。

 

移動中、左足にアクシデント。

くるぶし上に出来た腫れ物が急に痛み出し、歩くのが辛くなってきました。時々立ち止まらないと先に進めないほどの激痛。

足を引きずっていたら左足の他の部分まで痛み始めたので、14時頃ハレに戻ることに決めました。

ここんところ調子があまりよくなかったので・・・。残念でした。

 

ZooからSバーンで中央駅に向かう途中、TiergartenというSバーンの駅から大規模な市が見えました。

電車もTiergarten止まりだったので、降りていってみることに。

その市は骨董市でした。ベルリンで週末になると行われるというのを以前読んだことがあり、

一度行ってみたかったのですが、偶然遭遇してしまったのです。

数十メートルの区間に所狭しと骨董品が並べられ、かなり賑わっていました。

ソーセージ屋の屋台や仮設トイレも設置されており、お祭りのような雰囲気でした。

古いカメラもありましたが、殆どがジャンク品。一台だけ美品っぽいのがありました。KodakのRetinetteというカメラでした。

外装に使用感があったものの、フィルム送りも機能しており使えるのではと思いましたが、

残念ながら低速シャッター時に羽根が使い物にならないぐらいネバネバしていました。残念・・・。

それにしても古いカメラの扱いはほんとに酷いもの。箱に投げ入れられているものもありました。

 

一通り見物した後、中央駅に戻り帰路につきました。

帰国前にもう一度ぐらい訪れて、今度は博物館の島をもう一度巡ってみたいなーと思っています。

 

 

しかし一人で巡るのは寂しいなぁ~。誰かいい人見つけたいものです。

レーニン&旧東独国歌

刑務所


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カメラ・フィルム

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リビングルーム

ハンドクリーム、T字カミソリ、綿棒等々


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DDR時代のフィルム

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ロボトロン社製のコンピューター


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DDR時代のキャッシュレジスター


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DDR-Museum 館内


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DDR-Museum


ベルリン大聖堂の裏側、シュプレー川沿いにDDR博物館を発見。旧東独時代を扱う博物館です。


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入場料は6ユーロ。時間はお昼過ぎだったので、館内は人で溢れかえっていました。
館内は狭く、至る所にDDR時代に盛んに立てられたブロック高層住宅を模した棚が取り付けられており、
それを開くと、中からDDR時代に生産された物品を見たり触れたり出来るようになっています。


写真のようにトラバントも展示されていました。
トラバントも運転席に座ることが出来るようになっています。私も試しに座ってみましたが、座席の座り心地は最悪でした。
外装内装共に強化プラスチックでできており、ほんとに安っぽい作り。計器類も最小限のものしか付いていない。
しかしこの車、当時の東独の人達にとっては高嶺の花で、なかなか手に入れることが出来なかったとか。
また、生産にも時間がかかり、納車まで10年ぐらいかかったのだとか。冷やかし半分で注文した人もいたそうです。



館内は撮影が自由に出来ました。
印象的だったものを、今から少しずつ紹介していきたいと思います。

Berliner Dom

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Lustgarten

Deutsches historisches Museum Berlin


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ヒトラー展 in Berlin


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ベルリンで開催されているヒトラー展に行ってきました。
昨年10月に始まり、ナチス総統アドルフ・ヒトラーを単独で取上げる展覧会としてドイツ国内外で話題になっていました。
本当は今月上旬で終りだったのが大好評のため今月27日まで会期が延長されました。

展覧会のテーマは「ヒトラーとドイツ人 民族共同体と犯罪」というものです。


会場であるドイツ歴史博物館が開くのは午前10時。
ハレを午前6時頃出発し、ベルリンに着いたのが午前9時過ぎ。 10時前に博物館到着したけどアクシデント発生。
ベルリン中央駅についたすぐトイレに入ったのですが、そこにカメラを置き忘れてしまったのです。
気が付いたのは博物館前のバス停に到着直後。すぐに駅に戻ることに。
幸いなことに清掃員さんが保管してくれており事なきを得ました。


展覧会が始まった10月以来、常に入場待ちの長蛇の列が出来ていたそうですが、
開場直後に入れたせいか、まだ人の姿はまばらで、すんなりと当日券も買え中に入ることが出来ました。


先程も述べましたが、ヒトラーという人物を単独で取り扱う展覧会は今回が初なのだとか。 ナチス賛美につながりかねないということでこれまでタブー視されて避けられたみたいです。 そのため、国内外のメディアでも賛否両論があったみたいですが、今のところ極右勢力が大歓迎してるということはないみたいです。


展覧会場は5~6つのセクションにわかれており、ヒトラーの台頭からナチスの終焉までが説明されていました。 ナチス時代のヒトラーを賛美する宣伝広告やナチスの軍服、収容所送りになった人々の衣服等々が展示されていましたが、以前読んだ新聞記事によると、ヒトラー自身が身にまとっていた制服等は極右の崇拝の対象となるため展示が見送られたそうです。


ヒトラーは第一次世界大戦で憔悴しきったドイツ国民の心理を上手く利用してナチスを宣伝し、選挙による合法的手段で国家社会主義ドイツ労働者党(NSDP)を第一党に押しあげ、悲惨なまでに壊滅状態だった国内の経済状況を復興させていきました。しかしドイツ国民を元気にする一方で、ナチスに楯突き脅かす勢力や政敵、例えば共産主義者や社会主義者を粛清し、そしてユダヤ人を迫害しました。 さらに泥沼の第二次世界大戦へとドイツを駆り出し敗戦・・・。


当時の国民が一体ヒトラーという人物をどの様に見ていたのか。第一次世界大戦でボロボロにされたゲルマン民族の尊厳を復活させるプロセスにおいて、 多少は強引な部分はあったにせよ、ヒトラーという人物の手腕にドイツ国民は国の命運を託していたのではないかというのが、遊説中のヒトラーを歓喜で迎える人々の表情、老若男女がヒトラーに国民が宛てた手紙などから感じることが出来ました。


しかし、これほどの輝かしい復興をリードした(独裁的ではあるけど)ヒトラーとナチスが、なぜ極端な人種差別的と見なされうる暴挙に走ったのでしょうか。本展覧会のテーマに「民族共同体」というキーワードが含まれていますが、歴史学者達に「この概念のシステムは受け入れと排除の両方の原理によって成り立っていた。根本にあるのは人種差別的な思考であった」と説明しているようです。しかし本当に人種差別的な思考が根底にあったのでしょうか。


何故ヒトラーが、ナチスが、ドイツ人がユダヤ人迫害へと走ったかについては、もっと中立的視点からの考察を待たねばなりません。なぜならナチス(ヒトラー)の犯罪行為=ユダヤ人迫害=完全悪というスタートラインから常に議論が始まっている感がするからです。なぜそこまで一連の行為を「絶対悪」と見なさなければならないのか。ユダヤの問題を扱うのに、こんな簡単な構図では説明できるはずはないからです。私のような素人目にもそれぐらいは何となくわかります。


ナチ関連の展覧会もっぱらその負の部分が強調されてきましたが、今回の展覧会では、ヒトラーとドイツ国民が歩んできた「明と暗の道」をある程度均等に描き出していたのではないかと思います。これまで欧州でタブー視されていたヒトラーをテーマにした今回の展覧会は、これからナチスとヒトラーについてもっと多角的な議論を始める一つの切っ掛けになればなぁと思います。

2011年2月21日月曜日

豚の貯金箱


午後2時から友人と会う約束をしていました。
12月にデッサウ・ロスラウを案内してくれ、論文の添削を引き受けてくれた友人です。


待ち合わせ場所に向かう途中、また別のドイツ人の友人に遭遇。彼と会うのは2年ぶりぐらい。
日本学を専攻している人で、引き続きDoktorand(博士号候補生)として大学に残って研究を続けているそうです。
私が無事「学位取ったよ」と告げると「おめでとう!!」と喜んでくれました。


さて、今日会う予定になっていた友人とはマルクトで合流し、その足で日本茶が飲めるカフェに移動しました。
彼も木曜日に今学期のテストを終え、一段落付いたところ。金曜日、土曜日は学部の友達とパーティー三昧だったとか。


我々が向かった先は、行きつけのお店Roter Horizont。日本のお茶を飲ませてくれます。
ここのウェイトレスさんは美人揃いで有名。今日も一人綺麗なウェイトレスさんがいました。そして帰りがけにもう一人。
美人ウェイトレスのいる喫茶店というのは、私が日本にいる時通っていた喫茶店にもありました。



その友人と会うと話題は国内外情勢についての情報交換。
日本で職に就くことを希望しており、日本の国内情勢について私に色々質問してきます。
それに対して、私もドイツの国内情勢、とりわけドイツ人の目からみた情勢についていろいろ教えてもらいます。
彼から質問を受けるので、日本の国内情勢をチェックするということがいつの間にやら私の課題になりました。
友人も私をしばしばお茶に誘ってくれるのは、そういう話ができるという理由かららしい。嬉しい限りです。



私が無事試験に合格したので、友人は「これ渡したら怒るかもしれないけど」と前置きをしつつプレゼントをくれました。




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学位を取得した時にかぶる(私はかぶりませんでしたが)帽子を頭にのっけた豚。貯金箱になっています。
「これからお金に困ることにないよう貯金してくれという意味だ。子供っぽいかもしれんけど」という友人の説明がありましたが、
ただこの豚が私に似ているという理由で選んだ可能性も考えられます(笑)。
豚の貯金箱、私はほんとに大好きなので、この贈り物は本当に嬉しかったです!!
それにドイツで豚は幸運を運ぶ動物として知られています。



水曜日、友人から頼まれ事が一つできたのでまた会う約束をしました。 掛け軸を翻訳して意味を知りたいとのこと。

2005年に到着後しばらくしてから知り合い、この3年ほどはずっとお世話になりっぱなし。
彼がいなければ、論文の完成はありえなかった。授業で忙しい合間を見て毎回丁寧な添削をしてくれました。
私もドイツにいる限り、出来る範囲のことで彼の力になれたらなぁと思っています。

私は一応4月までいる予定なので、暖かくなったらデッサウ近郊の世界遺産登録に指定されてる庭園にいくことも決定。
前回のデッサウ・ロスラウ訪問時は大雪で訪れることが出来なかったところ。 また楽しみが一つ増えました。



久し振りにたくさんたくさんお話できて私にとってもよい気分転換になりました。
さぁ明日から本格的に荷造りだ。

2011年2月20日日曜日

新たな不安を生む悪い癖


とっても長く感じた一週間がようやく終わりました。

一週間前、大きな不安に押しつぶされていた自分がいました。こうやって振り返ってみると面白いですね。

一週間後、今の自分を一体どの様に振り返っているのか、今からちょっと楽しみです。

 

この半年間、不安だった案件が次々と解消されていきましたが、

私の悪い癖なのか、心の奥底からまた新しい不安要素が作り出されつつあります。全くどうしようもない・・・。

杞憂に終わる不安ばかりなのに、学習能力がないのか、次々と不安を生み出してしまう・・・。

 

でも見方を変えれば、不安が故にそれを解消すべく自分であれこれ動き、働きかけ、求めようとするので、

そのプロセスにおいて、直接目には見えないものの今後に繋がる新しい「何か」が同時に生まれ熟成されてるのかも。

私にとっての「不安」とは、私自身を突き動かすものなのかもしれない・・・。

不安の中で新たに得たものは直接自分のために使えなくても、誰かの役に立てるよう提供してもよいかもしれない。

心配性の自分といかに付き合うか。色々考えた結果、上述のように考えるようにしました。

 

目下の不安とは何か。それは漠然ではあるが将来に対する不安です。

あまり先のことを描いてもそれは妄想に過ぎず無駄。「無駄」とぶった切るのは少し言い過ぎか。

しばらくの間、私にとって次のステップへ進む「準備段階」に時を費やすことにしよう。

その時間の中で、どういう規模で残りの人生を生活していきたいのか青写真は描いてよいかも。

その青写真を6割でもいいから実現できるために今をどうやって生きていくか、ぼちぼち考えなくっちゃなー。


さて、今をどう生きるか。今何をすべきか。

そうだな・・・。とりえあえず怪我することなく荷造り&発送を終えて、五体満足で帰国することかな。

2011年2月19日土曜日

やっぱり難曲なんだなぁ~


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つい先程ライプツィヒ・ゲヴァントハウスから帰ってきました。いやー久し振りの電車移動、疲れました。
電車の到着が10分遅れたものの、何とか遅刻せずコンサートホールに到着しました。
ゲヴァントハウスはライプツィヒ中央駅から歩いて5分ほどのところにあります。



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開演前のホールの様子。演奏が始まると撮影が出来ないので、舞台にはプレーヤーはいませんが・・・。
本格的なクラシック音楽専用コンサートホールで、客席と舞台の距離がかなりちかい・・・。
人気の演目だったのか、空席は殆どありませんでした。



さて、今日の演目ですが、

Konzertovertüre  “Karneval”  op.92
Konzert für Violine und Orchester a-Moll op.53
7. Sinfonie d-Moll op.70

です。全部ドヴォルザークの楽曲です。前の記事でも書きましたが、メインのドヴォ7が楽しみでなりませんでした。

 

オープニングは「謝肉祭」という曲でした。
これは演奏会のオープニングを飾る序曲として作曲されたもの。とにかく明るい曲。
「謝肉祭」はその名の通り「祭り」をテーマにしたもので、冒頭から勢いのある主題で聴衆をお祭りの世界へと引き込みます。
中間部で木管セクションによって緩やかな主題が奏でられますが、喧騒と喧騒の谷間にある主題であるので、
この曲の中では清涼剤の役割を演じてるかもしれません。

この謝肉祭に限れば、オーケストラはほんと生き生きと演奏していました。
比較的演奏機会が多いプログラムだからだろうか、オケを鳴らす「つぼ」みたいなのをよく把握している感じでした。
座った席が悪かったのか、音が前に飛んでこず上の方に抜けていく感じがし、響き方がイマイチでした。



サブメインはヴァイオリン協奏曲です。
ドヴォルザークの協奏曲といえばチェロ協奏曲が一番有名です。1楽章の主題、3楽章の田舎臭い主題、どちらも好きです。
このヴァイオリン協奏曲はチェロコンについで演奏機会が多い曲なのだそうですが、私は今日初めて聞きました。
3楽章構成で、各楽章前にはカデンツァが置かれています。が、超絶技巧という感じのカデンツァではありませんでした。
印象的な主題もなく、最終楽章がドヴォルザークお得意のフリアントになっているぐらいで特筆すべき点はなし。
ドヴォルザークのチェロコンもそうなのですが、伴奏は実につまらない。
このヴァイコンはSoloすらもパッとせず、全楽章が短調なので、陰気でノッペリしていて楽しい曲ではありませんでした。



休憩を挟んでいよいよメインです。休憩中にCD売り場で一枚700円のCDを買いました。
ドヴォ7とドヴォ8が入っており、指揮者はマゼール、オケはウィーンフィル。ターリヒ版もありましたが、高かったのでパス。
ドヴォ8と9はラファエル・クーベリックの録音が定番だと思いますが、ドヴォ7はどの指揮者のがいいのでしょうね・・・。



さてメイン。ドヴォ7です。
第一楽章。暗い、腹の底に響くドヴォ7の顔とも言えるべき主題がチェロ・ヴィオラによって奏でられます。
ここで転けてしまえば全てがパーと言えるぐらいとってもとっても重要な冒頭。演奏はというと・・・。転けてくれました。
何かリズムが甘かった。音も薄い。もっと弓の毛を弦に吸い付けて弾いていいところなのに・・・。
オケ全体が自信なさげといった感じでした。「難しいから何とかしてくれ・・・」という声が聞こえてくるか如く・・・。

私の席の影響もあったのかもしれませんが、特に弦楽器の調子が一楽章冒頭から変でした。特に1st.ヴァイオリン。
音は鳴っていないし、ハイポジションの箇所は上ずりまくるし、次に来る旋律の準備が出来ていない。バタバタ。
弦セク全体が終始おろおろしているように映りました。 たぶん私もこの演奏の中にいるとそうなるかもしれませんが・・・。

弦セクは元気ありませんでしたが、木管楽器の各一番は相当レベルが高かった。
特にメロディーを担当するフルートの一番とオーボエの一番。クラリネットはやや不安定でしたが・・・。
金管セクはホルンが相変わらず下手。ハレのオーケストラのホルンの方が遙かに上手かも。

第2楽章はその木管が元気だったので、中間部はとても美しく響いていました。 弦セク、相変わらずリズム甘い。

第3楽章。再び弦セクがメインになるわけですが、ヴァイオリンが鳴ってなかったので壊滅。技術的にも厳しそうでした。
フリアントのリズムも甘甘。「ゲヴァントハウスでこれなのか?」とかなり期待はずれでした。

第4楽章、 フィナーレで賑やかな楽章ですが、終始イケイケムードのみでプロらしい繊細な音作りができてなかった。


という具合に、弦セクがボロボロだった故に「とりあえず最後まで通せた!!」という感じの出来でした、ドヴォ7は。




しかし、ドヴォ7をまともに演奏できるオケ、あるのか?
この曲は相当弦セクのレベルが高いオケじゃないと成立しないのではないか・・・。例えばウィーン・フィルかな。
技術および表現レベルが中途半端なオケと指揮者だと、聴き手を納得させられない典型的な曲かも。
ドヴォ8、9よりも断然好きなんだけどな・・・。



あ・・・、何かフラストレーションがたまる。
去年の9月の聞いた巨人・・・。すごくよかったのが懐かしい・・・。

2011年2月18日金曜日

交響詩 『真昼の魔女』


気持ちは既に明日のコンサートにあり、今から楽しみで仕方ありません!
クラシック音楽のコンサートは去年の9月、ハレのヘンデル・ホールでマーラーの巨人を聞いて以来です。


予習というわけじゃないけど、YouTubeでドヴォルザークの楽曲をあれこれ聴いていたら珍しい曲を発見。
2003~4年の冬学期に今回の長期滞在の布石となる4ヶ月間のハレ滞在の折、
2003年11月のコンサートで聞いた交響詩『真昼の魔女』という曲です。この時も確かドヴォ一色のプログラムだったな。



この曲、2003年のコンサートで聞いた時かなり嬉しかったのを覚えています。なぜなら、演奏機会がないのか音源も少なく、
コンサートのプログラムでも殆ど見かけることのない曲だったからです。鑑賞機会に巡り会えるなんてラッキーです。
コンサートで行く前から知っており、色々と思い出のある曲です。


標題音楽故、曲は一つのストーリーに基づいて構成されています。

舞台は母親と子供が暮らす昼下がりのお家。曲は言うことを聞かない子供を母親が何度も叱るシーンから始まります。
木管楽器の演奏は子供の主題。その後に続く弦楽器がガシガシ奏でる主題は母親の叱責の主題。
全然言うことを聞かない子供に母親は「いい子にしてないと、真昼の魔女がお前をさらいに来るぞ」と言い、子供を脅します。
加えて、母親は魔女について色々悪口を言ったのです。


母親の悪口が耳に入った魔女は腹を立て、母親と子供の前に姿を現します。
曲の中間部でガラリと雰囲気が変わる部分があります。弦楽器はミュート(消音器)をつけての演奏。
その後、ファゴットとバスクラリネットによるおどろおどろしいメロディーが登場します。
ここは魔女の登場シーンです。


魔女は子供を殺そうとしますが、母親はそれを必死で守ります。
魔女も必死。母親も必死。しかし、魔女は子供を殺してしまい、それに歓喜した魔女は踊り狂います。
魔女と母親の戦い、そして魔女の踊りはこの曲の最も盛り上がる場所。
この場面では変拍子が用いられ、その様が如実に描かれています。


教会の鐘が12回なると魔女は姿を消さねばなりません。
魔女と激しい攻防戦を演じ、意識を失った母親は目を覚ましますが、子供は既に死んでいた・・・。
上の動画は丁度教会の鐘が鳴り終わるところで終わっています・・・。



明日のコンサートでは上演されませんが、気になったので紹介してみました。
明日は謝肉祭、ヴァイコン、そしてドヴォ7です。ヴァイコンよりもチェロコンの方がよかったな・・・。

2011年2月17日木曜日

お腹こわす & 体重減


強度のストレスから解消された今日この頃。特に体重にその影響がもろに出ているようです。
今朝体重計にのってみたら2キロほど落ちていました。ご飯も間食も割としっかり摂っているはずなのに・・・。


ストレス太りというものだったのだろうか・・・。


この体重減を後押しするか如く、昨日の晩から腹痛&お腹ユルユル気味です。
昨日の午後、突然フルーツジュースが飲みたくなり買いにいったのですが、それ飲んだ直後ぐらいから不調に・・・。
お腹はグルグルいうし、トイレは近くなるし。ドイツのリンゴジュースやオレンジジュースは美味しいのですが、
どうやら私の胃腸との相性はあまりよくないみたいです。



楽しみにしている明日のコンサートまでに何とかしたいこの腹痛。
演奏中にお腹グルグルなんて嫌ですからね。

2011年2月16日水曜日

春はそこまで来てる?

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ドヴォ7 in Gewandhaus


何もかもが一段落ついて迎える今週末、何をしようか色々考えた結果、久々にコンサートに行くことにしました。
ベルリンに行きたかったのですが、天気が不安定故にとりあえず近場で楽しんでみることに。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで行われる、ゲヴァントハウス・オーケストラの定期コンサートです。

ゲヴァントハウスを訪れるのは4年ぶりぐらいじゃないかな。随分ご無沙汰してしまった・・・。


日時は2月18日(金)午後8時から。曲目は前々から一度生演奏を聴いてみたかったドヴォ7です。

曲目

Antonin Dvorak

Konzertovertüre  “Karneval”  op.92
Konzert für Violine und Orchester a-Moll op.53
7. Sinfonie d-Moll op.70


プログラムは全てドヴォルザーク。土臭い、田舎臭いメロディーが多い作曲家。結構好きです。
楽譜は・・・。特に弦楽器泣かせ、ヴィオラ・チェロにとって厄介なもの。
ウニョウニョウニョウニョと移弦をたくさんしなきゃならない伴奏がいっぱい出てくるし・・・。


ドヴォルザークのシンフォニーは1番(ズロニツェの鐘)から9番までありますが、中でも私はこの7番が大好き!!
8番、9番に比べて美しいメロディーがたくさん現われるからです。特に第2楽章のクラリネットがいいかな。
それと民族舞曲を取り入れたドヴォルザークらしい第3楽章。その冒頭はチェコの民族舞曲フリアントのリズムです。


ブラームスと年齢を超えた親しい交際をしていたのは有名な話で、
特にこの第7番はブラームスの交響曲第3番の影響を強く受けた楽曲であるという見方もあります。


第8番や新世界に比べて知名度はさほど高くなく、
且つ演奏の難易度が高い故、プロのオーケストラでも難曲と見なされ、演奏機会はそう多くないそうです。
実際楽譜を見ると・・・。無理です。難しすぎます・・・。


シンフォニー以外の作品で私が好きな作品は弦楽セレナーデと交響的変奏曲(通称「ドヴォ変」)でしょうか。
数ある弦楽セレナーデの中でも、ドヴォルザークの作品は一番美しいのではないかと思います。



この難曲を、ゲヴァントハウス・オーケストラの常任指揮者リッカルド・シャイーがどの様に仕上げるのか楽しみです。

心地よい関西弁 & Pentacon 1,8/50 mm


長い長い一日が終わろうとしています。

朝早かったので、昼食後少し眠ることにしました。
しかし、目が覚めたら喉が痛い・・・。喉というか、鎖骨まわりがだるい・・・。


喉がやられたのか。水分とビタミンを摂って体調管理しないと・・・。


食欲はまだ落ちてないので大丈夫だとは思うけど・・・。疲労がひたひたと忍び寄ってるのかも。
正直、ビザ更新の方がVerteidigungよりも精神的ダメージが大きかったので、それが終わってホッとしたのかも。


夕方から夜にかけて前記事に頂いたコメントのお返事をまとめ、その後はノンビリ動画鑑賞。

 

久し振りにYouTubeを散策したら「映画版じゃりン子チエ」がアップされているのを発見!!
「じゃりン子チエ」と言えば関西人にとってものすごく馴染みのある漫画&アニメ作品。関西弁が心地よい・・・。
1981年に公開の映画版で注目なのは何といっても声優陣。当時の漫才ブームで活躍した個性的な漫才師&落語家がずらり。
監督はジブリ映画でお馴染みの高畑勲氏。この映画もジブリ作品に加えてもいいかもしれない。


作品に出てくる直立歩行の猫、小鉄とアントニオ・アントニオJr.に癒されました。

 

さて、数日前一眼レフ用のレンズを一本ゲットしました。

今ある一眼レフはエクザクタマウントのExaとExa 1aの2台。そしてM42マウントのPraktica L2が1つ。
M42マウントのレンズを帰国までにもう一本欲しい思い、Prakticaを作ったPentacon製のレンズを探していました。
値段も手頃で且つ明るいレンズ。f.18レンズの単焦点レンズは一本あると便利と勧められました。
さらに33㎝まで寄れるので、ちょっとしたマクロ撮影にも使えます。何かと便利なのです。


レンズの買い方ですが、単体購入でもよかったのですがボディ込みで単体と同じ価格のものがあったのでそれにしました。
そのレンズが付いていたボディですが、Exa 1シリーズのM42マウント機であるExa 1bでした。完動品です。
Exa 1aはエクザクタマウント機ですが、その後継機Exa 1bと1cではM42マウントが採用されました。





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Exa 1bは1977年から1980年代中頃まで製造されたカメラです。外観はExa 1aのそれと殆ど変わりませんが、
フィルムの巻き上げ部分が変更されています。そして前述の通りレンズマウントがM42に変更になりました。
Pentacon 1,8/50mmにExa 1b本体、革製速写ケース、紐、説明書、さらに化粧箱付きでした。



M42マウントはねじ込み式レンズマウントの代表格で、プラクティカスクリューマウントと呼ばれました。
構造が単純で、当時の一眼レフメーカーがこぞって採用したマウントで、一時期世界におけるレンズマウントの統一規格でした。
それ故に、世界中のメーカーで膨大な種類のレンズが製造され、今でも安価でよいレンズが手にはいるとのことです。
最近の市場に並んでるデジタル一眼にもアダプタさえあれば取り付けられるようになっています。



さて写りの方はどうか・・・。Exa 1b本体の性能チェックもしてみたいですが、
とりあえず使い慣れたPraktica L2に取り付けて試写してみたいと思います。



Exaktaの廉価版であるExaシリーズ、これで3つ揃いました。コンプリートすべきかどうか・・・。

2011年2月15日火曜日

不安解消

 

たった今、ハレ市の外人局(Ausländerbehörde)から帰ってきました。

そう、こないだの記事で「不安だー」とこぼしていたのは、最後のビザの更新があったからなのです。

過去ブログ時代も含めて何度か不安をこぼしてきましたが、どうもこの手続きだけは場数を踏んでも好きになれないのです。

 

先月18日に外人局に連絡し、手続き日が今日15日と決まりました。

18日に失効するので、延長申請が必要な場合は1ヶ月以内にしなければならないという規則があります。

ただ今回、いつもと違って本当に延長できるのかどうか、ややこしい事態になったのです。

論文提出前、公開討論会(Verteidigung)は11~12月に行われると言われました。

しかし、10月末に行われた専門口述試験(Rigorosum)時には12月、そして11月には1月の下旬か2月の上旬にという風に、

Verteidigungの日程が二転三転し、正式決定がなかなかなされませんでした。

12月に入り、Professorから「1月26日」というようやく具体的な日時が明らかになるものの、

その日時の前には “voraussetzlich”(恐らくは・・・、たぶん・・・)がくっついており、依然不明瞭なまま。そして越年。

結局26日に決まったものの、Verteidigung実施の1週間ぐらい前まで正確な日時のアナウンスはありませんでした。

 

Verteidigungが終わった日からビザが失効するまで3週間しかない。

もしVerteidigung終了後に、論文関連の事後処理が生じた場合どうするのかということが心配になってきました。

12月、とりあえず大学の学生課(AAA)にこの旨を相談すると「その場合来学期も在籍可」となり在籍延長手続きをとりました。

在籍証明書がとれればかなり高い確率で在籍が可能になるわけですが、

前回ビザを更新した際「試験(Verteidigungのことかな)が終われば終了」みたいなことを担当官が言っていたので、

「事後処理目的の滞在は出来ない」と外人局で裁定が変わるのではないかという不安がありました。

つまり、事後処理は滞在目的対象外(Verteidigungで全過程終了なので)と見なされるのではないかと思ったのです。

もっと早くVerteidigungが行われ、あるいは期日がもっと早くにわかっておれば、数ヶ月間に余裕があれば、

論文の事後処理と帰国準備を含めた準備と日程調整はできたものの・・・。

Verteidigung実施の日時が1週間前になって決まったのなら、これはどうしようもありませんよね・・・。

3週間やそこらで何が出来るというのか・・・。

 

上記のような不安を抱えて今日外人局に行きました。

 

手続き日時は2011年2月15日午前8時。私の場合何故かず~っとこの時間。

予約をしてるので8時前にに行けばよいはずなのですが、そういうわけにはいかないのです。

一般の人は事前予約ができないので、開局前に並んで整理券を受け取らなければなりません。

この列が長い場合、いくら予約済とはいえ一番後に並ばされる可能性があるので、

1時間ほど早めに行って待ってなければならないのです。事情を説明するのも面倒くさいし・・・。

なので、今日も朝7時過ぎぐらいに入口に到着できるように6時半頃家を出発しました。

今日は朝から外気温が氷点下だったせいか誰も待っておらず私が一番乗りでした。

上着の下にはヒートテックに長袖のTシャツ、ズボンの下には股引を履くという防寒は完璧。

過去一度もなかった「一番乗り」で中にはいることが出来、心を静めて担当官の部屋に入りました。

 

朝の挨拶をし、席に着き、パスポートを渡す・・・。いつもなら一言二言質問があるのですが、今日は一切なし。

「こりゃいけるのでは」と順番に書類を提出している間気分が楽になってきました。

しかし、不意打ちが一つありました。健康保険加入のカードを提示せよというものでした。

滞在初年度に加入した健康保険に継続して加入することが出来なくなったので、2年前に新しいのに切り替えました。

しかし、その間に行われた更新手続きの席で健康保険については何にも聞かれませんでした。

大手の健康保険会社ならカードが発行されるのですが、私のところは契約書と一緒に送られてきた紙切れのみ。

ビザ更新時に健康保険についていつ聞かれてもいいようにコピーをずっと用意していたのでそれを提出しました。

コピーだけでなく原本もちゃんと持っていたので問題は生じませんでした。原本がないとうるさいのです。

 

そして作業はたんたんたんと進み、15分ぐらいで部屋を出ることが出来ました。

今回、何かよくわかりませんが、5ヶ月の申請をしたら5ヶ月後の7月14日までではなくて何故か7月31日までくれました。

なんでだろう。こういうこと今まで一度もなかったのに不思議です。システムが変わったのかな。

 

これでとりあえず5ヶ月の間引き続きドイツ国内での身分は保証されました。

論文の事後処理は程々にし、来週から本格的に荷造り作業に入り、4月下旬頃帰国というプランを実行できそうです。

 

何かまたまた杞憂に終わった・・・。

私はやっぱり長生きできないのかもしれないな・・・。

2011年2月13日日曜日

安っ!!


こないだ駅に行った時、駅構内のdmで安いフィルムを見つけました。


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通常3本入りのところ、1本オマケ付きで2,65ユーロ。一本あたり約0,66ユーロです。それも36枚撮りです。
このシリーズの12枚撮りが一本0,65ユーロですからいかにお得かがわかります。


一本はフィルム巻き取り機構のテスト用におろしました。現像しないテスト用フィルムってあった方がよいみたいなので。
もう一本は、Praktika L2に詰めました。このカメラ、フィルム装填に癖があるのですが、最近ようやく慣れました。


そして午前11時頃からカメラを持って散策に出掛けました。
遠出せず近所をグルグルと。まだ歩いたことのない道を歩いてみようと・・・。
さらにテーマを「廃墟」「道」と決めて。いつも路面電車から見える廃墟街を一度撮影してみたいなーと思い。



結局家からマルクトまでブラブラ2時間ぐらいかけて撮影&散歩を楽しみました。
「これいいな」と思ったら構図を考え、枠内に何を詰め込むか吟味します。
単独露光計を頼りに絞りとシャッター速度をいじって露出を決めます。ピントはスナップなので殆ど∞。
でも、Tessarは単焦点レンズだけど、結構寄って撮れるので重宝します。



露出を決める技術が最近安定してきたので、今日は一シーン一シーンを大切に。一球入魂で。
でも寒かったー。外気温2~3度だったので、シャッター切るのが辛かったです。



撮影中は頭の中が写真のことだけでいっぱいなって、嫌なことぜーんぶ忘れられていいですね。
特に一眼レフはごちゃごちゃ操作があるのでさらに楽しい。 機械好きなので。



また天気よくならないかな・・・。

2011年2月11日金曜日

不安な今日この頃

 

最近、不安に押しつぶされている日々が続いています。詳細は来週に。

部屋で一人でいると色々と余計なことを考えてしまうというのはホント私の悪い癖なのですが、治りませんね。

昔の単身海外在住者の方々ってすごく苦労されたんだろうなと思います。

今は便利なツールがありますね。SkypeとかWindows Live Messenergとか。

一言メッセージ(現在の心境、状態など)を残しておくと、気軽に声かけてくれる人がいます。

そういう人達に、今かなり助けられています。

 

 

Skypeにはほんと色々な方がいますね。

女性目線の話を総合すると、とにかく変な性癖を持ってる男性が多いのやら。露出したり、変なことを要求したり。

もっぱら上記のような女性目線での被害話が取り沙汰されますが、

男性から見て「嫌だな」と思う、少々デリカシーに欠ける女性についてはほとんど話題に上らないような気がします。

世の中、流行(大きなものはなくなったけど)やメディアは女性偏重主義に陥っていますがその一現象なのかも。

ネットで盛んな「女叩き」をするつもりはないですが、そういう情報を耳に入れなくとも、

「男女とも配慮に欠ける、自分も相手も見えていない人多いな」と思う人が結構いるなと感じます。

女性で「この人痛いな」と思う人、例えば、

 

  • 流行の表現を無批判に使う人(アラサー、アラフォーはマスコミが作り上げたくだらんレッテル貼りなのに・・・)
  • 言葉遣いが異様に悪い人(「男言葉、女言葉」って日本語の良い部分だと思うんだけどな・・・)
  • 交際歴をひけらかす人(不成就の交際歴を披露しても、頭と下半身の緩い愚かで節操のない人と思われるだけ)
  • 恋愛オンリーの人(上記と関連。「恋愛」だと綺麗な響きだけど、ただ不節操で動物的な感情を美化してるだけでは)
  • 年相応の表現が出来ない人(例:「女子」 30代前後では痛すぎる。これ使えるのは高校生ぐらいまででは)
  • 口を開くと愚痴ばかりの人(愚痴ってマイナスのエネルギーしか生まれてこないでしょ)

 

等々です。こういう人達とは残念ですが長いこと話したいとは思わないので即ブロックさせてもらってます。

もちろん上記のような人々と上手く関わっていける人もいるのでしょうが、私は無理です。

私以外にも、口には出さないけど「嫌だなー」って思ってる男性は案外いるかもしれませんね。

 

さて、週末天気悪いな・・・。外に出れない。

ロスラウの旅

 

12月に友人宅を訪問した折に撮影した写真です。数枚失われていました。残念。

 

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夕暮れ & タトラカー

 

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夕暮れ時の散歩 & 飛行機雲

 

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雪の日の思い出


雪の日にExa 1aで撮りためた写真が出来上がってきました。
それにしてもドイツの現像料ってどうしてこうも安いんでしょうか。同時プリントでたったの2,6ユーロでした。
しかしミスしたみたいで、36枚きっちりとれなかった・・・。4枚、どこいったんだろう?

一枚目の写真、ポストを撮影してみましたが、結構ボケ出てますね。Exaの低スペックでは無理だと思ったけど。



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Agfa Silette 試写


セルフタイマー以外ちゃんと動く(と思われる)Agfa Siletteの試写を一昨日行い、
今日現像が出来上がってきました。350円という格安で落札したこのカメラ、果して写りの方はどうか???


Retina 1b同様、Agfa Siletteにも距離計など付いておらず、ピント合わせは全て目測です。
距離環の3メートルと10メートルの所が赤字になっており、近景なら3メートル、遠景なら10メートルに合わせ、
屋外なら絞りをf16程度にするだけでほぼピントは合います。被写界深度の実践ですね。
シャッター巻き上げもスムーズ。シャッター音も快調。サクサクッと試写は進みました。



さて、写真の出来映えですが、どれも色合いが鮮やかでとても美しい写真になっていました。
安カメラとは思えない色具合。「アグファはよく写って安い」というのはどうやら本当だったみたいです。
ピントのずれもなく、どの写真もいい具合に仕上がっていました。



その色合いを出来る限り忠実させるべく、今回はスキャナとPicasa 3を色々いじってみることに。
スキャナで取り込むと色温度が若干高くなるみたいだったので、Picasaで少し低めに設定してみました。
プリントされてきたものと比べるとまだまだ差はありますが・・・。



撮影場所はいつもと同じマルクト。変わり映えのしない場所でごめんなさい。




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2011年2月5日土曜日

感動の描画力 Retina 1bの試写


カバンを路面電車に置き忘れた同じ日にRetina 1bの試写もおこないました。
その現像が今日できあがり、取りに行ってきました。今回はdmではなくてRossmannで。
12枚撮りフィルムの現像だったのに、料金はdmよりも1ユーロほど高くて驚きました。質は凄くよかったけど・・・。


見た目は完動品のRetina 1b。しかしフィルムを入れて撮影するとどうなるか。
1500円でゲットしたカメラがただのジャンク品なのかそれとも掘り出し物なのか・・・。ドキドキの瞬間。


出来上がった写真を見てビックリ。
描画力が凄まじいのです。とても40年以上前のレンズとは思えない、シャープな写りと見事な色調。
目測による距離測定&ピント調整は今回初挑戦。曇り空で露出が心配でしたが、めい一杯絞りを絞り込み(11~16)、
距離環も6mに固定する撮影でピンぼけ写真は一枚もなし。被写界深度様々です。
シュナイダー・クロイツナハ製のクセナー2,8/50mm、凄すぎます。

∞のピンぼけもなし。ピントは完璧に合ってます。 目測ピント調整も問題ないみたい。
シャッター速度が1/60だったのと、撮影にまだなれていないので手ぶれはほんの少しありましたが。
撮影機構は完動。蛇腹も正常。完動品であるのは間違いないみたい。



残念ながら、試写中にフィルム巻き上げボタンを紛失しましたが、
撮影機構は無傷なので、なんとか工夫しながらこのカメラと上手く付き合っていきたいなと思います。
マイナスドライバ一本あれば、なんとか使えますし、フィルムの巻き上げ作業は家ですればOK。
一眼レフのお供に連れて行くの、いいかもしれませんね。



毎度毎度スキャナーがショボイので、プリントされたものより色調がかなり崩れています。
しかし、描画のシャープさは十分伝わるかも。プリント、実物を見てもらいたい・・・。フィルムスキャナ欲しいな・・・。




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2011年2月3日木曜日

踏んだり蹴ったりの一日


年のせいなのか、今頃になって疲労がどっさりでてきて、さらに風邪っぽかったので外出を控えていました。

お昼前、日差しが強くなったので、醤油買いに行くついでにRetina 1bの撮影テストをしようと思い外出することに。
日の光を浴びることで元気になれたらなーと思い。



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あまり荷物がない、荷物が増えそうにない外出時には、いつもこの肩掛けカバンを使っています。
今日もカメラは胸ポケットに入れて、このカバンには折りたたみ傘とフィルムの空ケースだけを入れておきました。


路面電車の停留所へ行く途中も写真をパシャパシャ。快調に撮影をしていました。


路面電車の中で、いつもはしないのにこの肩掛けカバンを肩から外して隣の座席におきました。
いつもしないことをしたことで、この後災難に見舞われました・・・。
さてマルクトに到着。試写なのでいつも見慣れた景色をパシャパシャ。家を出た時よりもさらに日差しが強くなってきました。


12枚撮りのフィルムはあっという間になくなり、巻き上げて現像に出そうと思ったら・・・。
なんと、カメラの巻き上げ軸解除ボタンが取れてなくなっている・・・。前にも一度ポロリととれたもの。
付近を探せども見つからない。1㎝にも満たない小さな部品故にもう仕方がないなと断念。
フィルムを巻き上げて取り出すことは出来ました。帰宅後すぐに応急処置したので今後の撮影には影響ありません。


フィルムを巻き上げて取りだした後、あることに気が付きました。体がとても軽い・・・。

そう、カバンを持ってなかったのです!!!!


今まで歩いたところをもう一度辿ってみたものの見つからない。ということは路面電車の中か。
ドイツで他人のカバンを見つけて律儀に届けてくれる人がいるのか疑問でしたが、
とりあえず交通局に駆け込み、事情を説明しました。すぐに該当する電車に連絡してもらいましたが見つからず。
名前と携帯電話番号を伝えて、一旦家に戻ることにしました。


私がカバンを置き忘れた路面電車は1系統でした。


帰宅後、携帯電話に留守番電話が一件はいっていました。交通局からでした。
なんとカバンが見つかったとのこと。それも、1系統でなく、Neustadt行きの2系統の路面電車の中で。
とりあえず詳しい情報を聞くために、もう一度交通局に行くことにしました。


2系統がNeustadtからマルクトに戻ってくる時間と車両番号を教えてもらい、しばし待つことに。
「1系統でなくした物が何故2系統で・・・」「カバン違いではないか」という不安の中、2系統の電車到着。
運転席をのぞくと、私のカバンがありました。無事手元に戻りました。


その後、なくしたカメラの部品の代替品を探すために、路面電車で郊外のホームセンターに行きました。
帰りはSバーンに乗ろうと駅に向いましたが、駅に着くやいなや電車がドアを閉めて出発していまいました・・・。
次の電車は30分後・・・。



なんか、踏んだり蹴ったりの一日でした。
Verteidigungからまるまる今日で一週間が経過。先週はよいことずくめだった故に、
そのしわ寄せが今きてるのかな・・・。

2011年2月1日火曜日

大学院の徒弟制度廃止?

“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申

産経新聞 1月31日(月)22時20分配信

中央教育審議会は31日、大学院博士課程で、院生が1人の教員に師事して研究を手伝いながら指導を受ける“徒弟制度”や、特定のテーマに絞り込んだ修士論文の廃止などを盛り込む大学院教育改革策を高木義明文部科学相に答申した。
博士課程修了者が民間企業で敬遠される傾向があり、国際社会で活躍できる人材育成も不十分という批判が出ていることから、幅広い分野の研究をさせることで、企業などが求める人材育成を目指す。答申を受け、文科省は具体的な制度改革の検討に入る方針。
答申では、博士課程の院生が、1つの研究室にだけ属して1人の教員から指導を受ける現行制度からの転換を提言。複数の研究室で指導を受けながら学位を取得するように求めている。
また、5年制の博士課程の2年修了時点で、特定の研究テーマについてまとめる修士論文を原則的に廃止。代わりに幅広い分野についてテストやリポート審査を行う「クォリファイング・イグザム」の導入を求めている。
ただ、博士課程とは別にある修士課程は今後も存続するため、同課程での修士論文などは存続を認める。
新しい制度は、トップレベルの大学院教育を推進するために、各大学院の中から指定される「リーディング大学院」などで先行して導入される見通し。

 

なんかツッコミどころ満載の中教審答申を目にしてしまいました。

これ「徒弟制度」自体は別によくって、博士・修士課程の院生を担当する教授の資質が問われる問題では。 


古くさい頭の教員をどんどん追い払って、大学院内の代謝をよくする方が先決のような気がします。
例えば、修士にしろ博士にしろ、学位取得経験者を重視して、これから取得を目指す人のサポート役に回すとか。

「若い血」を入れる方法、活性化させる方法はいくらでもあるはず。


さらに、学内の「政治ごっこ」に明け暮れてるとか、
過去の自分の業績、権威を振りかざして、学生を「小間使い」のようにしか見ない、常に上から目線の教員を、
まずは排除していくほうが重要なんじゃないかな。
「権威」「権力」の上にふんぞり返って「何様なんだ」という連中、よく見かけます。日本の大学では特に。
こういう連中、ほんとに迷惑ですから。日本の政府の縮図のよう。いつまでもそこに留まりたがる。


それにみんながみんな「国際社会」で活躍できなくってもよい。
「日本という国がどうしたらよくなるか」という教育を基本に据え、その策を練り、それを実践できる人材を育てるべきでは。
猫も杓子も国際社会、国際社会じゃ、日本も知らないし世界も知らないという中途半端な人材が出来るだけ。
日本についてのイロハも知らない状態で、日本の国益のためにならない国際社会での活躍では意味がありません。
まずは日本のよいところ、悪いところについて客観的に学び、日本を知ることがスタート地点だと思います。




民間企業もよい人材が欲しかったら、
研究畑で育ってきた教員を辞めさせて、企業側から教員として人材を送り込んだ方がいいのでは。極論ですが。
でも「民間企業にとってよい人材」って一体何なのでしょうか。

ただ会社に文句を言わない「社畜」が欲しいだけでは。

「狭い分野で使えない」云々は口実で、自分の頭で考えられ、口答えされる人材はいらないということじゃないのかな。
情報収集の方法、プレゼン能力、あるプランを実行するための段取りの建て方等、
大学院で普通に真面目に過ごしておれば大卒の人達よりも身に付いているはず。
修めたテーマは直接生かせずとも、そこに至るまでのプロセスとそのプロセスを遂行してきたスキルは高いはず。



どんどんおかしな国になってますね、日本。