2010年10月17日日曜日

DDR時代のカメラ


実は来週試験があります。テーマは20日ぐらい前に決まり、
毎日毎日試験勉強に明け暮れておりました。暗記は辛いですね。10代の頃よりほんと衰えています。
故に、勉強方法を工夫してみることに。「覚えられない、あー、もうやだ!!」と覚えられないことがストレスになると、
どんどん自己嫌悪に陥っていきます。それじゃできるものもできなくなってしまいますよね。


なので、まずはストレスを溜めないよう心懸けてみました。忘れっぽくなっているのはもう仕方ないことなので。


まず勉強時間ですが、長くて3時間限定。この間にひたすら覚えて、定着率は5割を目標。覚え方はひたすら声だし。
3時間というのはあくまで目安で、覚えきれなかったら次の日に持ち越しても可。無理に覚ようとしません。
そして一番重要なのが勉強時間帯。それは寝る前です。人は睡眠中に記憶を定着させるのだとか。
起きた後、覚えられなかった箇所を再確認すると、さらに効果が上がるのだとか。 これで忘れた5割を補えます。
では日中は一体何をするか。読書&不足知識の補足。この時覚えようと絶対に思わないことにしました。


これを10日ぐらい続けてみましたが、確かに効果が出てきている模様。
さらに、もう一工夫加え、1番目に付くところにどうしても覚えきれないものを書き出して張り付けています。
受験勉強時に「トイレや風呂に貼ると覚える」と言われましたが、さすがにここじゃトイレ、風呂に貼れないので、
机の前の壁にベタベタと貼っています。


試験まで後1週間ですが、今すぐでもOKなぐらい仕上がりは順調です。




この数十日の間、ずっと勉強勉強だったので、なんかモヤモヤ~ってしていました。
時々一日中勉強から離れる日を作っても、部屋にいることが多かったので、なかなかモヤモヤが解消されませんでした。
そこで今日、あにいく天気は雨だったけど、ちょっくらライプツィヒまでお出かけしてきました。


近々(といってももう少し期間はありますが)ドイツを去るにあたり、
一つどうしても手に入れておきたいものがあります。それは Made in Germany と記されたあるいはそれに類するカメラです。
ドイツと言えば、精密機器、光学機器で有名です。その製品は世界でもトップクラスです。
その代表格といえばやっぱりカメラ。高級ブランドで有名なライカ(Laica)がありますし、レンズの分野でも、
カール・ツァイス製のものなどが有名です。しかし、ライカ製のカメラは気軽に買えるものではありません。
中古でもウン十万という値を付けています。ライカ以外にもドイツには様々な有名カメラブランドがあります。
ローライ(Rollei)、イハゲー(Ihagee)、エクサクタ(Exakta)、ペンタコン(Pentacon)、コンタレックス(Contarex)、
プラクティカ(Praktika)等々。挙げるときりがありません・・・。中でも私が注目したのがDDR時代に製造されたカメラです。

ここ最近、色々と情報を収集していたのですが、いかんせん私の町には中古カメラを扱う店はありません。
ベルリンに行けばあるとのことですが、ここは滞在目的が全て終了してからゆっくり巡りたいと思ってるので今回はパス。
旧DDRでそういったものが集まりそうなところといえばライプツィヒかドレスデン。特に家から近いライプツィヒを 調べたところ、
一件よさげな中古カメラ屋さんを発見しました。DDR時代に作られたカメラの在庫もそこそこありそうでしたし、
ずっと前から一度行ってみようと思っていました。それを今日、とうとう実行に移しました。




電車でお出かけするのは約1ヶ月ぶり。それに、わざわざ雨の日に遠出なんてのも珍しい。
今回ライプツィヒに着くまで色々波乱がありました。駅に着いたのが午後14時20分。23分にSバーンがあったので、
ギリギリ間に合ったらいいなーっていう位の気持ちで切符を買ってホームに向かうとまだ来ていませんでした。
ラッキーと喜んでいたら「ホームが変わる」という場内アナウンスが流れました。何番線か上手く聞き取れなかったので、
とりあえず人の流れについて行き、何とか電車に乗れました。しかし電車はなかなか出発しませんでした。
今か今かと出発を待っていたら、若い女性が隣の席に座ってきました。合い席ではなくDBの職員さんで、
新しい切符の値段設定についてアンケートを受けました。なかなか可愛らしい女性でした。
アンケートが終り、しばらく待っていたら車内アナウンスが。折角移動したのに、運行しないとのこと・・・。
またまた私を含めた乗客はもといたホームに移動するはめに。怒ったりするお客さんがいなかったのが不思議でした。


しかし、53分に来るはずの電車もこれまた15分遅れ。一体どうなってるんだ・・・。私は一人でイライラしていました。
午後15時11分に空港経由のライプツィヒ行き電車があるので、Sバーンは諦めそちらを利用することに。
電車は既に来ており、定刻通り出発。15時半過ぎにライプツィヒに到着しました。




今日はとにかく変な日でした。ライプツィヒに降り立つやいなや、そこには物騒な光景が・・・。
駅の至る所に警官がズラリ。それも武装警官。腰にはぶっとい警棒とピストルをぶら下げていました。
さらに外に出てみると、警察車両が大量にズラリと並んでいました。一部は駅前の路面電車路線を塞ぐほど。
町中にも結構な数の警官を目撃しました。何かイベントでもあったのでしょうか。
さて目的のお店ですが、10分ぐらい迷ったものの見つけることができました。




小さなお店で、ショーケースにはズラリ古いカメラが並んでいました。
私が興味を持ったのはPrakticaブランドとExaブランドの1960~70年代にDDRで作られた一眼レフカメラ。
PrakticaもIhagee社のExaも市場価格はそう高くなく、相場は大体40~50ユーロ程度。
でも、ショーケースにあったPrakikaはかなり状態がよさそう。値段が気になったので、思い切って店内に入ることに。
土曜日は17時まで営業とドアに張り出してありましたが、この時まだ16時過ぎだったのにドアの鍵が閉まりました。
しかし、入口に立っていた僕に気付いてくれた店員さんがドアをすぐに開けてくれて中に入ることが出来ました。



白髪の男性がこのお店の店主さんで、PracticaとExaを見せて欲しいと告げると、Practicaかショーケースから、
Exaは店の棚からそれぞれ出してくれました。ExaはExa 1aという0、1a、1b、1cというシリーズのうちの一つ。
旧DDR滞在の記念に、DDRで製造されたカメラを記念に持ち帰りたいと告げると、男性は凄く喜んでくれ、
「こういうカメラの収集を始めるとキリがないからねー」とグサリと刺さる一言も。確かにクセになりそう、どれも格好いい。
Prakticaは状態が物凄くよかったので、電池込みで90ユーロとさすがによい値段でした。
実際に手に取ってみましたが、ズシリと重くて凄くよい。それに比べたら便利だけど今のデジカメなんてオモチャみたい。
Prakticaは旧東ドイツ唯一の国営カメラ会社だったペンタコン公社製です。DDR製ですね。

もう一つ、Ihagee社のExa 1aも姿格好はごつごつした感じだけど、質量感は最高。ズシリときます。
こちらは安くて40ユーロ。ファインダーが変わっており、上からのぞき込むウェストレベルファインダーになっています。
アイレベルファインダー(一般的なファインダー)と交換可能で、これは20ユーロとのこと。2つ持っておけと勧められました。
これで計60ユーロ。悪くない。さらに状態が非常によい革製のカメラケースに、DDR製のフラッシュを無料進呈とのこと。
状態のよいケースってどんなんだろうって半信半疑でしたが、外装に傷はあるものの十分使用に耐えうるものでした。
フラッシュもいかにもアンティークという感じで、たぶんケースとフラッシュだけで30~40ユーロはするんじゃないかな。
結局、お手ごろ価格のExa 1aを購入することに。ズシリと重いカメラらしいフォルムに魅了されました。





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これが購入したExa 1aです。Ihageeはオランダ人が1912年にドレスデンで設立した会社でしたが、1976年に倒産しました。
オランダ資本だったらしく、第二次世界大戦後大半の企業が国営化された中、この会社だけは民営だったそうです。
それ故に、しばらくの間は本当に質のよい製品を作り続け、西側に輸出していたとのことです。
レンズですが、本当はイェナ・ツァイス製のが欲しかったのですが叶いませんでした。今度もう一度訪れて交渉するか。




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手前のダイヤルはフィルム枚数計とフィルム感度設定です。その向こうに aus DRESDENとしっかり刻印されています。
プラスチック部分はなく、鋼で出来ています。今のコンデジではこういうのはないなー。重いと持ち歩けないから。




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これがウェストレベルファインダーです。上からのぞき込んで撮影するようになっており、中の像は左右逆に映ります。
しかしいかんせん視野が狭い。普通のファインダーをつけてもらって正解でした。



これ、一応レンズ交換式の一眼レフカメラなんです。絞り、シャッター速度、ピントは全て手動設定です。
この当時のカメラにもちらほら見られた電池式の露光計はなし。自分の勘に頼るしかなさそう・・・。
電池式でないというのはメリットでもあるのです。この年代のカメラで使われている電池のその殆どは生産されておらず、
特にボタン型水銀電池などは入手が本当に困難だそうです。同じ口径のものがあったとしても電圧が違っており、
変圧器をつけるなどして対処せねばならないそうなのですが、コストが非常にかかるのだとか。
なので、電池無しで動くというこのカメラ、よいかもしれません。



さて、50年前のカメラで一体どんな絵が撮れるのやら。天気のいい日に町に出て、撮影してみたいと思います。
撮ったものは、スキャナがあるので、取り込んでここで公開できます。

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