2009年12月31日木曜日

2009年包括

5年ぶりに日本で迎える大晦日。
午前中は父親の買い物に付き合い、午後は自家製塩昆布を作るために昆布をひたすら切っていた。

平々凡々な正月。これがなによりよい!!


大晦日はやっぱり2009年の総括かな。
今年一年、凄く早かった。ま、ドイツでの本業も目処がつきそうなところまできたし、
今までのところ一番充実したドイツ生活をおくれたのではないかと思う。


さぁ、ガキの使いでも見るか。

2009年12月30日水曜日

風呂掃除&銭湯

沢山の収穫物を持ってお昼過ぎに帰宅。
昼食後は風呂掃除。浴槽、床、タイル、洗面器、椅子等をピカピカに磨き倒す。

夕方頃、父、伯父(4兄弟の長兄)そして私で銭湯に出掛ける。
内風呂もよいけど手足を伸ばせる広い風呂に前々から行ってみたかった。
ようやく念願が叶った。


家から車で20分ぐらいのところにある銭湯。
といっても湯質は天然温泉らしい。入湯料は大人一人410円。
伯父はよく銭湯を利用するらしい。その伯父曰く、銭湯の値段も年々上がってきてるのだとか。

玄関で靴を預け、その鍵をフロントに持っていって脱衣場の鍵をもらう。
浴室は脱衣場のすぐ側にあると思いきや、階段で少し上がったところにあった。滑って転ぶことないのかな。
風呂の種類自体はめちゃくちゃ多いっていうわけではなかったけど、
さすが銭湯。浴槽は大きく手足をめい一杯伸ばすことができる。
湯が約1年半の疲れを全部吸い取ってくれるような・・・。とにかく気持ちよかった。


私は元々長湯するタイプではないので、
父や伯父に付き合っていたら軽くのぼせてしまった(笑)。

ゴボウ


s20091230DCF_0022伯父に「ゴボウ、ひぃてみぃひんか?」と勧められ挑戦してみることに。

まず葉を刈り取り、土の上にちょこっと顔を出した軸の周りの土をそっと手で掘って太さを確認する。
この日、本格的な土いじり。土はしっとりと湿気を含み気持ちよかったー。
たまにとても太いのがあった。手で4、5センチ土を避けてあげて引き抜こうとしてもなかなか抜けない。
力ずくで抜くと折れてしまうので、表面を傷つけないように周りの土を取り除いていく。
ゴボウがグラグラ動き始めたら一気に引き抜く。

掘りたてのゴボウだが、何とも言えないよい香りがしていた。


ハリハリゴボウにしても美味しいし、金平にしても汁物にしても美味しい。
どんな料理になって出てくるのか楽しみだー。

金時人参


s20091230DCF_0020

雑煮に欠かせない金時人参もこのように立派なものをたくさん収穫することができた。
金時人参、この時期スーパーではかなり高値で売られている故にとっても経済的。種から育てたらしい。
西洋人参に比べて育てるのが難しいらしく、なかなか芽が大きくならなかったのだとか。

ネギは薬味用。
金時人参の葉を切り落とす作業の後はネギの掃除作業。
茶色くなったり黒くなったりした葉を剥がしていく。こうすると調理する時非常に楽になる。


次は、本日最も苦戦したゴボウ。

今年最後の収穫

今日の午前中も昨日に引き続き外出。
正月用の野菜を調達すべく畑に出掛けた。今年最後の大収穫となった。


s20091230DCF_0018写真は前にここで紹介した聖護院大根。全部で5株ほどあるのかな。
食べきれないかもしれないけど、とりあえずもう次の作物のために引いてしまえーということになった。

発泡スチロールの前に並んでいる野菜は春菊。鍋料理には欠かせないもの。
霜よけのビニールハウスを一旦取り除き、根っこ部分を残しながら大きな葉だけをハサミで摘み取っていく。
父曰く、根さえ残っておればどんどん生えてくるとのこと。



s20091230DCF_0023

普通の大根も殆ど引き抜いてしまうことに。年明け早々にジャガイモの植え付けに取りかかるとのこと。
土まみれの大根を一本一本丁寧に水で洗った。この畑では山からの湧水を灌漑用に使っている。
だから水がとっても冷たい・・・。最初は冷たいという感覚を遙かに通り越してヒリヒリと痛かった。
でも不思議なもので、四本、五本と洗っていくうちに手の感覚がだんだん麻痺してきた。

大根を洗ってる最中「おしん」を思い出した(笑)。


収穫物は大根だけではない。

2009年12月29日火曜日

先祖供養

12月29日。今年も残り後3日となった。
今日は午前中に父方のお墓参りに出掛けた。もう何年も訪れていなかったので。


墓参りというのは結構好きだ。
家族と既に鬼籍に入った祖父母の話の思い出話をしたり、その遙か前の世代について思いを巡らせてみたり・・・。
私の祖父の祖父、つまり私の父の祖父、私の曾祖父に当たる人物について墓石に記されている。
この方は1931年に63歳で没したらしい。ということは生まれたのは江戸時代、慶応年間ということになる。
私の高祖父は間違いなく江戸時代の人だ。

さらに思いを巡らせてみる。
私の両親は2人。その両親にはさらに両親(私から見れば祖父母)がいる。
その祖父母にはさらに両親がいる。そしてそのさらに・・・。
きりがないので書かないが、3世代前上、つまり曾祖父母の代まで遡ってみると、血縁者は最低14人はいる。
その人達がお陰で両親がおり、そして私が存在する。
今日に至るまでそこには色々な偶然、巡り会いがあったんだろうな。 



   教育と先祖供養を疎かにする家庭・国はやがて滅びる。


と最近読んだ本にあった。まぁ「滅びる」という表現は少々大げさかでキツイいい方もしれないとしても、


先祖を省みることで、今こうして自分がこの世に存在していることの尊さを再確認することができる。
その尊さに気付けば、もっと自分自身を大切にして生きていけるような気がする。 


さぁ残りは30日と31日だけだ。

2009年12月28日月曜日

咳き込む

日本の食べ物は本当に美味しい。でも、食べ過ぎは厳禁。
ドイツで3ヶ月間苦しんだ教訓を生かせなかった今日一日・・・。

お昼ご飯を食べ過ぎてしまい、久し振りに咳きこんで呼吸困難に陥った。
食べ過ぎは横隔膜を広げ、肺を圧迫し、喘息症状にはあまりよくないらしい。

数日間にも酷い咳が。家庭菜園でとれた小芋で作ったコロッケがあまりにも美味しく、
ついついばくばくと食べ過ぎてしまった。案の定、軽めの咳きこみ。
今回はもっと酷かった。咳がたくさん出た。前傾姿勢でも辛くて辛くて大変だった。
苦しくて声が出せないし、立ち上がったらフラフラ。
咳きこんだ後4時間ぐらいは何もできない。うつ伏せで激しい咳が来ないことを祈るしかない。

深夜に咳はなんとか治まってくれぐっすり眠れた。
でも、朝起きた後もも暫くフラフラだった。喉が凄く渇くし、足下はおぼつかないし・・・。


軽い運動をしようと思いお風呂の掃除をした。
風呂釜、深めなので結構な重労働だった。
少し楽になってから動くと、かなり息が楽になる。
ぴかぴかに磨き上げる。小さな達成感。気分は最高。


あ~、年末年始、食べ過ぎに注意せねば。

2009年12月26日土曜日

wizpyをめぐる顛末

丁度11ヶ月前。いつも利用しているらばQやGIGAZINEで興味深い記事を見つけた。
wizpyという小型マルチメディアプレーヤーがAmazonで投げ売りされているというものだった。

2007年に発売されたもので、当時は通常価格で30000円近くしたものが、
なんと3100円までに値下げされたのである。
小型音楽プレーヤーは既に2つ(一台は懸賞で当たったもの)を持っている。
しかし、このwizpyには普通の小型プレーヤーにはない特殊な機能がついている故に興味を持った。

発売元はターボリナックス社。TurbolinuxというOS開発に関連する日本の会社である。
この小型音楽プレーヤーにはなんとこの会社が開発したTurbolinuxというOSが入っており、
普段使っているWindowsのパソコンに繋ぐだけでLinuxの環境が使えるというものなのである。


s20091226RIMG0488この手のひらサイズのプレーヤーにOSが入っているなんてにわか信じがたい話である。
PCに接続し、この中に入っているOSをPCのハードウェアを使って立ち上げるのである。
PC環境は(Linuxだが)全てこの中に保存される。
故に、いつでも色々な場所で各々個人のPC環境が利用できるのである。
出先でちょっと自分のPC環境を利用したい時など便利。

OSだけでなく使えるソフトも幾つか入っている。
OpenOffice、Skype、Firefox等々。日本語入力システムはATOKである。
なかなかやってくれるではないか!!

データ類はPCではなくてこのwizpyに保存される。接続先のPCのHDDは全く使わない。
音楽プレーヤーとしてではなく、私が着目したのはwizpyのこの機能である。
数年前に購入した薄型ノートPCのHDDが最近故障気味。いつクラッシュするかわからない。
このwizpyを使えば、HDDの故障云々関係なくその薄型ノートPCを利用できる。
データの出し入れはwizpy内でおこなわれるのだから。


大きさはiPod nano程度。重さは50グラムほど。コンパクトだ。
小型だが有機EL搭載でavi形式の動画も再生できる。


日本に到着した17日に初めてこのwizpyとご対面。
あれこれ機能を試し、PCとの接続も試みたが、音楽ファイルを転送したら動かなくなった。
3100円だし、所詮玩具みたいなものなのかなと諦めかけていた。
修理を出すにしても、ターボリナックス社のサイトでも既にwizpyのサポートは終了している。
しかし、シリアル番号があればwizpy clubの会員なれるのことだったので取りあえずなってみることに。
すると、その会員サイトにサポートは終了したものの、
購入一年以内の故障であればサポートセンターに送り届ければ、
修理あるいは新品交換を受けつけてくれるとのこと。

問い合わせフォームがサイト内にあったので、症状を細かく記述して送ってみた。
翌日返事が届き、そのメールの中に商品の送付先が書かれてあった。
再度商品を一度送り返す旨を連絡し、先週の日曜日に発送した。
そして今日、修理が終わり手元に戻ってきた。


「もうダメだ、安物買いの銭失いとはこのことか」と半ば諦めていた一週間前。
しかし嬉しいことに戻ってきたものは完璧に修理されていた。
音楽を取り込んでも問題ないし、動画も再生できる(avi変換が結構面倒だけど・・・)。
それにLinuxを立ち上げることもできた。

シリコン製のケースが同封されていた。
かつて市販されていたようだが、大概のものはあるAmazonでももうとっくに取り扱いされていないもの。
1年前、Amazonでまだ取り扱いされてた時1500円ぐらいの値を付けていた結構高価なものだ。
なんかただのオマケのような感じがしなかった。
ひょっとしたら、元々初期不良で、そのお詫びの意味を込めてのものなのかも。。。


なにはともあれ、無事戻ってきてくれてよかった。。。
この値段で動画再生機能付きプレーヤーってなかなかない。

wizpyの愛好者も結構いるらしく、様々なサイトで使用法など解説がなされている。
暫くの間、あれこれいじってみようかな。

楽しみがまた一つ増えた!!

障子の張り替え&散歩

先々週の日曜日あたりから父親が障子の張り替えを始めた。
私の家には4箇所障子があるが、しばらく放置されたままだった。

s20091226RIMG0481写真は既に張り終わったところの写真。
丁寧に剥がし、髪を上の部分だけテープで留めて丸めておく。
ノリを木枠にしっかりつけ(乾燥厳禁)紙をゆっくり貼る。
木枠に指を這わせて紙と密着させる。この時、木枠の内から外へと方向を決めておく。

外にはみ出た紙は、外枠のノリがまだ湿っている間にナイフで切り取る。
力いっぱい引っ張ってはぐちゃぐちゃになってしまうので慎重に。


**********
午後8時頃、障子を貼り替え、夕飯を済ませた後に家族で散歩に出掛ける。
この間は父親だけだったが、今日は母親も参加。
散歩コースは父親の希望で家から北に約2㎞ほど行ったところにあるローソン。
ラジオで聞いた番組企画商品がそこで買えるとのこと。

このコースは中学生時代の通学路とほぼ重なっている。
じっくり歩くなんて17、8年振りぐらいじゃないかな。中学校を卒業して以来。

夜道故に車を避けるべく裏道をずっと歩いていった。
新しい家がどんどん建ち、区画整理で若干道幅が広くなり、風景は変わってしまっているが、
ルートそのものは昔のまま。昔ながらの入り組んだ道はなおも健在だ。

ローソンにはお目当ての品はなかった。残念。
今回訪れたローソンだが、数年前まで同じ場所にファミリーマートがあった。
ファミリーマートは何故か南に追いやられ、その跡地にローソンが建てられた。
同じ土地にコンビニが入れ替わりで建つなんてちょっと珍しいのでは・・・。


家に着いたら時計はもう午後9時半を過ぎていた。
大晦日には同じコース沿いにある神社に初詣に行くとのこと。
春日大社の分社で、
付近には大坂城築城の際に切り出された石垣用の石が幾つか今も放置されている。
この石切作業を指揮していた足立氏という人物の屋敷が今でも残っている。


丁度今日で日本滞在の三分の一を消化。
凄くいい休暇を楽しめている。

夕飯

数日前の夕飯ですがアップロードします。
3、4日前に夕飯時に食べた鮭寿司と赤出汁、そして鶏の唐揚げです。

s20091226RIMG0478関西人だけど私は結構赤出汁が好きです。
特にこういうお酢を使った料理、ご飯の時にはピッタリ。

鮭寿司は酢飯にほぐした鮭、キュウリ、沢庵そしてゴマを混ぜるだけのシンプルなもの。
冷たいままでもいただけるし、電子レンジで温めてあげても美味しくいただけます。

我が家の唐揚げの下味は塩胡椒だけととてもシンプル。
既製品の粉など用いません。シンプルだけど鶏肉のうま味を楽しむことができます。
子供の頃から唐揚げと言えばこれでした。

ドイツにいる時から食べたくて食べたくて・・・。
っていうのは先日書きましたね(笑)。

2009年12月24日木曜日

Frohe Weihnachten!!

クリスマスといっても特に変わったことはなし。
豪勢な白やら黒やらのデコレーションケーキを食べることも、ローストチキンを食べることもない。
ケーキと言えば、持ち帰ったシュトレンを開封した。チキンは母親お手製の鶏の唐揚げ。

鶏の唐揚げ。ドイツで作れそうで作れない代物。皮付きの骨なし肉が手に入りにくい故。
あっでも、パーティー等で作って持ってきた人もいたかな。骨付きを一体どうやって切ったんだろうか?

シュトレンは1㎏のとても大きいものを買ってきた。
アーモンドとレーズンが入ったドレスデン製のシュトレン。
本来は毎アドベント時に食べる物だけど、クリスマスケーキ代わりに食べても別に構わないだろう。


夕食後に父親と寒空のなか散歩に出掛けた。
私の住んでいる地域は山麓故、コースの決定次第では結構歩き堪えのある散歩コースになる。
傾斜のきつい坂も結構あり、散歩とはいえちょっとした山登り気分をも体験できる。
1年半も地元を離れると、地元の変貌が結構目についた。変化というのは凄いものだ。


ノートパソコンが戻ってきて、より良い環境でブログも更新できるようになった。
最近ブログはMicrosoftが無償で提供しているWindows Live Writerというものを使って書いている。
いちいちオンラインの編集サイトに入って記事を書くのが面倒なので、
ローカル側でソフトを使って編集してアップロードするという形をとっている。

液晶は元に戻ったけど、些細なことだけど問題が・・・。
ま、これは次回でいいか。


25日が本当のクリスマス。
でも日本じゃ年の瀬商品の売り出しが始まるんだろうな。。。

散髪&修理&カレーライス

朝から家族でモーニングに出掛ける。
父親が勤める会社のすぐ近くにある小さな喫茶店。私がいない間も2人でよく来ていたのだとか。
モーニングはトースト、サンドウィッチ、ゆで卵付きトーストの3種類から選べるようになっている。
私はサンドウィッチを頼んだ。具材は何だったか忘れたが、なかなか美味しいサンドウィッチだった。

その後散髪屋に移動。自宅から少し離れたところなので送っていってもらった。
しかし、朝10時半過ぎだったので満席&待つ人大勢で2時間かかるといわれいったん自宅へ退却。
自宅に戻り、ポストを確認すると10時11分頃にクロネコヤマトの配送通知が入っていた。
外に出てる間に修理されたパソコンが到着した模様。すぐに担当の配送ドライバーに連絡を取る。

その後2時間ぐらいしてから再び散髪屋に連れて行ってもらう。
久し振りに雨がぱらついてきた。冷たい雨。眠いし寒いしもう外に出たくなかったけど、
ぼさぼさ頭は家族に不評だったため、半ば強制的に行かされることに。

2007年に一時帰国した折にもお世話になった散髪屋。
価格もリーズナブルで、父親が地元の散髪屋を「セットが下手」という理由で行くのをやめ、
5年ぐらい前から通っている。店内はそう広くないが、理髪師が3名いて仕事がとても速いとのこと。

午後2時半頃に到着。
私の前に3人既に髪を切ってもらっている人とそれを待ってる人が1人いた。私は故に2番目。
私の後に2歳か3歳ぐらいの女の子のお孫さんを連れた男性が一人入ってこられた。
この年頃の女の子って言葉の上達途上にあるせいか、本当によくお喋りする。
喋って、喋って、喋りまくって語彙が増え、言葉が巧みになっていくんだろうなー。

私の順番は30分後ぐらいにやってきた。
店長らしい人に切ってもらうことに。頭のてっぺん部分の髪が短かったみたいで、
「これ、自分で切ったの?えらいみじかいね」と言われた。そんなことするはずないのに(笑)。
「黒々として髪多いし、太いわー」と髪質についてコメントしてくれる。
私が「抜け毛多いんですが大丈夫ですかね。薄くなったりしないかな」と訊ねると、
「頻繁に抜け替わってるんでしょうねー。薄くなる?あぁ、全然心配いらんよ」とのこと。ちょっと安心。

ハサミ裁きは慎重且つ丁寧。切ってもらってる間、眠くて眠くて意識がどこかに飛んでいた。
顔ぞりと洗髪は別料金だが全部してもらうことに。
顔ぞりの時に人が変わる。恰幅のよい坊主頭の店員さん。3年前にもお世話になった人だ。
物腰が柔らかな方で、洗髪までお世話になった。
ここの散髪屋。仕上げの際に変なものを頭にベタベタつけないので嬉しい。
トニックぐらいなもの。頭皮がシャキッとして目が覚めた。

夕飯の買い物ついでに、散髪が終わった私を拾ってくれることになったので家族に電話連絡。
散髪屋の目の前にコンビニエンスストアーがあったのでそこで暫し時間を潰すことにした。
コンビニエンスストアーに入るのって凄く久し振り。
年々品揃えの充実度は増しているように思う。でもあの店舗独特の匂いだけはどうも好きになれない。
それとコンビニ店員ってどうしてああ茶髪店員が多いんだろうか。
コンビニに限らず、日本の老若男女に茶髪が多いのは本当に残念。私は茶髪が大嫌い。
髪は傷むし、見た目も決して日本人には似合ってるようには思えないし。
日本人にはやっぱり黒髪が似合う。

外は雨。店の中であまりだらだら待たせてもらうのも悪いので、
それに何も買わないででるのも申し訳ないので乾電池だけを買って外に出て店の軒下で待つことに。
待ち始めてから20分ぐらいたってから家族が到着。その足で買い物に行くことに。

今日の夕飯はカレーライス。
ドイツ滞在中、去年に一度だけ作ったことがあるがそれ以来だから約1年ぶりのカレー。
カレーライスという料理は大勢で食べた方が美味しいし、そういう風にできているみたい。
ピリ辛の美味しいカレーライスをお腹いっぱい堪能することができた。


明日は(バ)カップル達の性の祭典であるクリスマスイブ。
どこもかしこも「クリスマス、クリスマス」って賑やかなんだろうなー。

私には関係ございませんが。

2009年12月22日火曜日

パソコンが直る&書きかけのノート

液晶画面のバックライトが壊れたパソコンが修理を終えて戻ってきそう。
今日の午後に修理完了のメールが届いた。

よかったー。ドイツに戻るまでに仕上がって。


一昨日、午前中に押し入れの掃除をしてみた。
大学在学中からあまり押し入れをいじっていなかったので懐かしいものがいっぱい出てきた。
高校生の時のテストやら模擬試験の問題用紙やら・・・。そしてノート。
その殆どが最後まで書き込まれていなかった。

すごく情けなかった・・・。
過去を振り返っても仕方はないけど、
かなり適当に勉強してきたんだなーって。
知識や頑張りが最も血となり肉となりやすかった時期に。
特に書きかけのノートなんかを見ると何をしていたんだろう私・・・、って。情けなくなってきた。
ノートを最後まで使わない悪癖は大学在学、大学院在学、そしてつい4~5年前と治っていない・・・。
モノを大切にするっていうこと。全くできていなかった。

与えられたものすら大切にできない。
自分でろくに稼ぎもできないにも関わらず・・・。
客観的に「最低な奴」と罵られても仕方ない。
ほんと、甘甘の生き方だ。


でもまぁ、なんとかならないものか。
今からでも遅くないかな。
もう一度自分の生活を一つ一つ省みながら送ることにする。

来年の目標にするか。

ネトウヨ

ちょっと呟きたいです。

最近とある方に「(私は)ネトウヨっぽい」と言われたことがある(笑)。

この「ネトウヨ」という用語、最近よく耳にする(いやそれは私だけかもしれないが)。
ネット上で右翼的発言をする人たちを罵る呼び名と一般的には定義されている。

確かにネット上(特に某匿名掲示板上)で諸外国を叩くことで保守を装う人たちがいるのを散見する。
これは私も確かに「品の無い行為」だと思う。

諸外国と日本。歩んできた歴史も違えば民族性も互いに異なる。それはお互い尊重しあわねばならない。
しかし、互いの立場の違いを尊重し合えない一部の傍若無人に振舞う人たちによって、
例えば国益とか、先祖代々受け継がれてきたものが損なわれる等、
一方的に不利益を被ることが生じれば、それはそれで抗議してしかるべきである。
どういう意図がそこに働いているのか私にはわからないが、
隣国との関係で日本がしばしば不利益を被っている事実は、普段見聞きするニュースからでも明らか。

そういったことに対して、一日本国民として憤るだろう。だって自分の国、大切だし、好きだからね。
だからといってその事柄だけを叩き、
さらには隣国の文化や習慣まで罵倒し蔑むのはどうかな。
ネトウヨが陥りがちなのはそういう点なのかもしれないし、あってはならないこと。


昨今、日本では悪い部分がさらに悪化し、良い部分がどんどん失われていくような気がしてならない。
その原因を探る際、諸外国だけでなく、日本そのものにも目を向ける必要があるんじゃないかな。
つまり、隣国との関係において不利益を被っていることを憤るだけはなくて、
同時に自国にも何らかの問題点がないかを客観的に省みることができるようになってようやく、
「国思う人」と言えるんじゃないかな、と私は思う。


最初に戻るけど、私はネトウヨなるものとは違うとおもうんだけどな・・・。
勝手にレッテル貼られてしまって迷惑だよ、まったく(笑)。

2009年12月21日月曜日

家庭菜園

過去ブログでもしばしば紹介した家庭菜園。
6~7年前から父が近くの畑を借り、叔父と共同で始めたもの。
前回帰国した折にも、作物の育ち具合を確認し収穫するのが毎週末の習慣となっていた。
ドイツに居る間も、電話やメールで畑での収穫情報がしばしば耳に入っていた。
年々作物のバリエーションも増え、作業がバージョンアップしているようだったので、
今回の一時帰国で約一年半ぶりに畑を訪れるのがなにより楽しみだった。


元々祖父が農家出身で、農作業に関してはプロフェッショナルだった。
大阪に移り住んだ後も、規模は縮小したものの祖父は畑を借りて野菜づくりを続け、
私が子供の頃、採れたての新鮮野菜をいつも届けてくれたのを覚えている。
祖父の作った野菜は今でも忘れられないぐらい、市販のそれとは出来が違っていた。
丸々とした大きいトマトに、粒の一つ一つが弾けんばかりのトウモロコシ。
果物も作っていたが、今でも記憶にあるのがイチゴ。粒が大きくてとても甘かった。
その祖父の腕を、息子である父と叔父は引き継いでいるらしく、
収穫された野菜を調理する母曰く、段々祖父の野菜に近づいてきてるとのこと。

この日は大根と小芋を収穫した。
秋まきの大根は丁度今頃が収穫時。それがまた美味しい!!
今季は普通の大根と聖護院大根に挑戦したのだとか。
聖護院大根はカブラ並みにまるまると太った大根で、京野菜の一つである。
市場での流通量が少ないせいか、高値で取引されている高級品。
丸々と太ったそれが畝の半分にびっしり出来ていた。



下が普通の大根。上が聖護院大根。普通の大根も市販のそれと変りないぐらい立派。
聖護院大根は普通の大根よりも煮込むとトロトロになりとても美味しい。
豚肉や鶏肉と一緒に煮込んであげると、ご飯がいくらでも進んでしまう。
農薬を使っていないので、大根の葉まで美味しくいただける。
大根の葉はお味噌汁に入れてあげても良し。
あるいは軽く茹でて青みを出し、塩もみしてから炊きたての御飯にしらす干しと混ぜても良し。
葉から白い部分まで全部頂け、栄養価も高い優秀な野菜である。




お次はお正月の雑煮に欠かせない小芋。この日は試し掘りで三株ほど掘っただけだが、
丸々とした形の良い小芋がでるわでるわ。一株につき15個ぐらい付いていただろうか。
一年前、私がいなかった時に、この小芋をコロッケにして食べたら物凄く美味しかったとのこと。
是非食べてみたいので、母に頼んで作ってもらうことにしよう。
まだ5~6株はあるので、雑煮用として十分食べられる。

他にも玉ねぎ、ネギ、チンゲン菜、ごぼう、えんどう豆、人参、水菜、ほうれん草等々、
一年半よりも種類が増えていた。 使用できる畝の数が増えたからだそうである。
来年にはもう半畝増えるとのこと。


早く完全帰国を果たして、私も野菜作りを色々勉強したい。

2009年12月19日土曜日

鼻水が止まらない

日本で師走を過ごすのは実に6年ぶり。
一時帰国から1日経過したが、慣れるまでもう少しかかりそう。
居間も2階も隙間風が吹いてとても寒い。
それに乾燥。喉がやられている。

喉以上につらいのが鼻水。
空港に降り立ったときからずっと鼻紙を手放せないでいる。
じーっとしてるとタラーっと垂れてくる。厄介だ。
この時期に花粉など無いはずなのに。
鼻水は疲労時にもひどくなるらしい・・・。


食事は依然堪能中。
今日の朝食と夕飯には焼き魚が出た。
朝は塩鮭、夜は鰤。
焼き魚を食べる。この日をどれだけ待ち望んでいたことか。
程よい塩加減になんともいえない魚の油の旨み。
鰤は照り焼きではなかったので、大根おろしと一緒に頂いた。
あ、それと粕汁。冬における実家の定番料理。
体は温まるし、具沢山で栄養満点!!


一部の人しか一時帰国は報告していない。
故にどこからもお声はかからない。幸せなことだ。


日本滞在で初の週末。
色々物を送ったりとこまごました作業が入っている。
ま、ぼちぼちするか。








2009年12月18日金曜日

一時帰国

予定通り12月17日の午前中に日本に到着。
しかし、フランクフルト発の飛行機が30分以上とかなり遅れた。
東京方面行きの便で数名乗り遅れが出たのと、
ウィーンから来た飛行機が遅れたとのこと。
でも、無事出発でき、10時間45分のフライトは順調そのものだった。

今回ライプツィヒ/ハレ空港から出発したわけだけど、
予想していたよりも遥かに移動が楽でスムーズだった。
空港もとても綺麗だったし、飛行機への搭乗手続きもスムーズだった。
3時間前からでもチェックインさせてくれ、時間的に余裕を持てた。

しかし、フランクフルトでの乗り継ぎは結構過酷だった。
ライプツィヒ/ハレ空港からの便は、大阪発の便と同じターミナル1に着く。
乗り継ぎはスムーズに行くかと思いきや、
今回はなんと到着ゲートの変更があり、
エレベーターで上下に移動し、指定の場所までたどり着くまで大変だった。
苦労して大阪便が発着するBエリアについたとおもいきや、
今度はパスポートコントロールで長蛇の列ができている・・・。
12時40分に到着してからパスコントロールを通過するまで凡そ費やすこと20分。
大阪便の搭乗手続きは13時25分。乗り継ぎ時間なんて今回は無いに等しかった。
しかし前述以外にも諸々の理由で搭乗手続きは15分遅れとなった。

飛行機内では快適そのものだった。
どうやら比較的新しい目の航空機だったらしく、
トイレは階段を下りていくようになっていた。
食事時以外のドリンクや軽食はセルフサービス。
映画等も、座席の目の前に付いている個人用モニターで楽しめた。
しかし、私の席のヘッドフォンプラグが壊れていて、
映画鑑賞はできなかったが・・・。

関空に付いたのが17日午前10時前。
入国審査、荷物の受け取り、税関申告を終えバスにて市内に移動。

1年7ヶ月ぶりに帰ったわけだが、
なぜかそう月日がたっていないように感じられた。
なんかずーっと日本にいたような錯覚に陥る。
実家に戻り家に入ってからもそう。
ブランクが感じられなかった。

前回の一時帰国は、まだ先行き不安な課題を一杯抱えていた状態だった。
それが今回は一時帰国前にその課題をまぁそれなりに片付けてきた。
両親いわく「充実して、ほっとしたからじゃないの?」と。そうかもしれない。

あ、パソコンも使える。
実家に残していったパソコン。内臓電池消耗でBIOSの再設定が必要だったが、
時間と日付を設定することでまた元通り動いてくれた。
そういうわけでサイト閲覧、メールチェック(どこからも来ないが)が可能に。
もちろんブログ投稿も。

昼食は、昨晩の残り物を頂いた。
それらに白ご飯、納豆、漬物、ラッキョウ等々を添えて。
これぞ和食。夢にまで見た食事。
夕食ではお味噌汁が出てきた。大根、ナス、油揚げの味噌汁。

輪郭を成してきた来年の目標に向けて、
とりあえずこの3週間は日本食でしっかり英気を養いたい。

注文した本でも読みながらのーんびりと。

2009年12月15日火曜日

いよいよ久し振りの日本へ!!

ドイツはすっかり冷え込み、気温は0度前後となった。
朝夕は氷点下。日中でも0度しかない。
いよいよ冬本番って感じになってきた。ドイツの冬はこうじゃなくっちゃ!



一昨日撮影したハレのクリスマス市の様子。第3アドベントを迎えて一層盛り上がっていた。
ちょうどヴェルニゲローデから戻りマルクトに到着した時に雪が降ってきた。今年初の雪だった。
このような夜のクリスマス市の風景を見るのはこの日が最後かなー。

というのもいよいよ約1年7ヶ月ぶりの一時帰国が迫ってきた。
明後日16日の午前11時35分の飛行機で出発。
作業も一区切り付き、先週末から今日にかけて数年ぶりにノンビリ過ごせたかな。
そんな中、今日はお土産を調達に。シュトレン、チョコレート、ビール等々。
冬場は美味しいものが多いので、お土産選びも結構たいへん。

シュトレンは数年前に持ち帰った時に家族が大絶賛。
しかし、それ以来冬に一時帰国することがなく、持ち帰るチャンスを逸し続けていた。
今年は思い切って年末年始の帰国を計画したので、
シュトレンを持ち帰ることができそうだ。

週末は久し振りの日本。
よく「日本に戻ったら何が食べたい?」って聞かれるけど、
やっぱりお味噌汁と焼き魚と納豆かな。

さてと、明日は荷造りだ。




2009年12月14日月曜日

帰路


ニコライ広場にあったクリスマスピラミッドにも灯が入った。
少しここでおみやげ物を買う。

もう少しいてもよかったけど、次の電車が1時間以上後だったので、
午後4時37分の列車で帰ることに。
時間がなく大急ぎで駅に向かうが、
電車が5分延着くれたお陰でなんとか間に合った。

思いつきでフラッと出掛けたヴェルニゲローデだったけど、
こんなに見所が多いところだとは正直思わなかった。
木組みの家だけを巡る目的でもう一度訪れてみたいな。来年、暖かい時に。
それからブロッケン山にも行ってみたい!!

確かにホテルやホステルを予約して宿泊を伴う旅もいいけど、
私はどちらかと言えば、近場でこのような日帰り旅が好き。

今年最後の最後に、私好みのよい旅ができました。





魔女の深鍋


halleröderというのはこの付近の地ビールの銘柄。ハレでもよく飲んだ。
それはさておき、この魔女のイラストが可愛くて撮影してしまった。
Hexen Kessel。Kesselってやかんっていう意味だけど、
ここでは料理で使う大鍋かな。魔女がなんか作ってる。

薬草を煎じて秘密の薬でも作ってるのかな。




また来れるかなー


午後4時半前になり、次第に日が暮れてきた。
前にもこのブログで書いたが、とっぷりと日が暮れきってしまうよりかは、
これぐらいの薄暗さが一番好き。イルミネーションも美しい。

またここに来れるかな。また来たいな。
しっかりこの景色を目に焼き付けて帰路につくことに。





巨大なサンタクロースの靴を発見!!
先の部分がペロンとあいており、その中に子供達が入れるようになっている。

なんか和むなー。こういう光景。




ピザ屋


これも新旧混合の代表格かな。とても美しい木組みの建物だが内部はピザ屋になってる。
張り出したテラスなんかとってもオシャレ。

お腹が空いてきたのでとりあえずマルクトに戻ることに。




ガーデンシュテットの家


古い木組みの家の中でもこの家はなんか特に目立っていた。
地味な外観だけど、細部が興味深い。大きな張り出しに、窓ガラスには円形の模様が施されている。
1582年にガーデンシュテットという人によって建てられた建物らしい。

木組みの家だけを目的に色々巡らなくてはならないかもなー。




新しいものと古いもの


外装はとっても古い木組みの家だけど、内部は改装されてレストランや色んな商業施設になっている。
もちろん人も住んでる模様。ここもその一つ。レストランになっている。

こんな所で食事したいなー。




先程の教会を望む


道はブロック造り。両サイドは木組みの家。遙か向こうには先程の教会の塔。
なんか凄く絵になっているので、この通り凄く気に入った。

興味深い建物はこれからたくさん登場した。




散策


教会のある通りにはオシャレな木組みの家が密集していた。
あまり地図に頼ることなく、目的地も設定せずフラフラ歩くだけだったので、
思いも寄らない素敵な建物の発見にただただ感動するだけだった。

この木組みの家にはAugust Wilhelm Grubeという人が住んでいたらしい。
人の出入りがあったので、今でも誰か住んでいるのだろう。




2009年12月13日日曜日

教会


来た道を戻り城を後にする。いや、凄い山道だった。ごくろうさま。
麓に教会を発見。土曜日ということで塔に登れるとのこと。入場料の2ユーロは修繕のための寄付かな。




坂道で足腰が悲鳴を上げていたが、そんなことも忘れてひたすら幅の狭い螺旋階段を登る。
螺旋階段が終わったら今度はぎしぎし音を立てる木製の階段。
その横には写真のように教会の鐘楼が。鐘、すごくでかい。




これは教会の塔に付いてる時計のメカニック部分。
大きな歯車が幾重にも重なっているのがわかる。何十年もの間時を刻んできたのだろう。




残念ながら曇っていたため視界良好とは言えなかったが、
塔の上からは先程登ってきたヴェルニゲローデ城を望むことができた。
写真から城が結構高い急斜面の丘の上に立っていることがわかる。

高台の空気を暫し堪能し塔を降りた。
入口付近で入場料を徴収しているおばさんが訪問リストへ記入を勧めてきた。
あまりこういうところに日本人が来ることがないのだろうか、
日本から来たと告げると「是非是非」という感じです勧められた。

教会を出ようとした時、おじさんに声をかけられた。
町の中心部を手書きで記し、街の由来が書かれた小さな地図をプレゼントされた。

「また来ますね!!」

って言ったが、ほんとまた来たくなる素敵なところだった。





王の部屋


あまりにも部屋が暗く感度が悪かったので、ISOを限界域まで上げての撮影。
フラッシュをたいて撮影するとこういった歴史的所蔵物に影響が出るといけないので。
ルーブル博物館でも確かこういう部屋でのフラッシュは禁止されていた。

王の部屋。緑の間らしい。




貴族の食卓


思わず「ひゃー」っと声を上げてしまった光景。貴族の食堂っぽい。
広さもさることながら、四方いっぱいに描かれた絵画も圧巻だった。ここで食事をしていたのかな。




食卓の様子。大小のグラス、料理が盛られるお皿。燭台。全てこれは銀製なのかな。
ほんとうにヨーロッパの貴族達はこういうところで食事していたんだなー。




日本式でいうならここが上座になるのかな。座ったつもりで撮影してみた。
毎回ここに住んでいた貴族はこのような感じで食事をしていたのか。

ここでは暫く写真撮影を続けた。
貴族の食事風景、とても関心があったので。





貴族の部屋


同じような城にはマイセンに訪れた時も入ったことあるが、
このヴェルニゲローデ城では特に王様の調度品の素晴らしさが印象的だった。
写真、ちょっとぼけてるかな。室内撮影難しい。




ピアノなんかもつい150年ぐらい前まで音を奏でていたのだろうか。
保存状態もすごくよくて、貴族階級の暮しがよくわかる展示となっていた。

さらに進んでいくと・・・。驚くものが。






城に入る


入場券を買って城の中に入る。
入口に設置されている機械にチケットを差し込むようになっているのだが、
私の前のおじさんは何度入れても中に入れなかった。
写真は城の中庭。奥手はレストランになっている。拝観は左側の1と書かれたところから。




山の麓から見えていた塔。ここは残念ながら登ることはできなかった。
城の内部までも美しい木組みの建造物が見られた。

さて、建物の中にはいることにしよう。




絶景かな


テラスからの眺めは絶景だった。暫し見入ってしまうぐらいに。
到着と同時に、それまで曇っていたのに急に太陽が現れ日差しが強くなった。
「よく登ってきた。お疲れさん」とでも激励してくれたが如く。。。

あとで調べたのだが、丁度この写真はブロッケン山方面らしい。
ブロッケン山、今度登らねばなー。




到着


苦労の末ようやく到着。写真は城入口の門。なだらかな下りになっている。
さっきの門から螺旋状にぐるりと登ってきた感じなのかな・・・。





城の前にある広場。塔が立っていた。物見櫓みたいなものなのだろうか。
この位置に城は12世紀頃から建っていたらしい。度々の火災で建物は失われ、
今日の建物は18世紀半ばのものらしい。とはいえ趣がある。
150年ぐらい前までここに王様がいたんだから・・・。

テラスに移動して町並みを見に行く。