2010年9月28日火曜日

久々のクラシック音楽観賞

今日の午後は、クラシック音楽のコンサートに行ってきました。
ここ数年、バタバタと忙しかったのと、いいプログラムがなかったのでコンサートホールに行くのは約2年ぶりです。



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今日の曲目ですが、

  • ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調 作品58
  • マーラー 交響曲第1番「巨人」 ニ長調

でした。Staaskapelleが主催する2010/2011年シーズン最初の定期演奏会です。
シーズン開幕に相応しく、馴染みのある作曲家の作品が演奏されるということで、客席はほぼ満席状態でした。



私のお目当てはベートーヴェンではなくてマーラーでした。
マーラーの交響曲がハレのStaatskapelleのプログラムに登場するのはかなり久し振りじゃないかな。
4年ぐらい前に一度交響曲第5番を聞きに行ったことがありますが、
この時はお世辞にも上手いとは言えない出来でした。
まぁマーラーの交響曲の演奏はすんごい難しいし、
中堅クラスのオケのレベルでは手に余るものなのかもしれません。



さて、この日のマーラーはどうだったかというと・・・。

第1楽章。弦楽器によるA音(日本語音名ではラ)のフラジオ(倍音)で冒頭(朝の風景)が静かに始まり、
時折聞こえる鳥のさえずり(これはエス・クラかな)はよかった。出だしはバッチリ!!
さらにその直後ぐらいに聞こえてくるバンダ(banda: イタリア語で舞台外での演奏)のトランペットがこれまた秀逸でした。
リズムにも切れがあるし、呼吸もピッタリ。何より素晴らしかったのが音色。しびれましたねー。
バンダのトランペット3管(一本はアシかな)はその後静かに舞台に入ってきました。
その後、チェロが第一主題を弾き始めますが、音はよかったけど、パート内の呼吸がイマイチ合ってませんでした。
チェロだけでなく、弦セクの不安定さが目立ちました。

1楽章では総じて弦楽器の演奏は手探り状態といった感じでした。
所々でメロディアスな部分での歌い込みはよかったけど、まだ「マーラーとはなんぞや」と方向性を模索してるっていう感じ。
目立たないけど、2ndヴァイオリン、ヴィオラは、下降音形の受け渡しでモゴモゴして訳がわからなかった。
弦セクションを観察していて気付いたのは、ユニゾンが少ないということ。
全般的に各パートが独立した演奏をしているし、プルト別弾き(In Out別、奇数、偶数別)、
2soli(2人だけの演奏)なんかも結構ありました。19世紀後半ぐらいの曲にはよくみられますが、 こりゃ難しいな。
それに対して、菅セクション・打楽器は元気そのものでした。全楽章通して一番元気だったかな。
トランペットは言うまでもなく、ホルン、トロンボーンの音がとにかく秀逸。
木管楽器も素晴らしかった。出番が決して多くないエス・クラ、持ち替えのピッコロもいい味出していました。
木セク、菅セクがとても安定している演奏を聞くのは、今回が初めてかも。



第2楽章。ベースsoliから始まるスケルツォ。ズッズーン、ズッズーンというお腹に響くような音に続いて、
ヴァイオリンが舞踊風のメロディーを奏でます。第一主題よりもこの冒頭がタイタンでは一番馴染みのメロディーかも。



第3楽章。日本で馴染みの曲「グーチョキパーで何作ろう」を短調にした感じの曲。
グーチョキパーの歌は楽しげだけど、これはちょっと・・・。虚ろな感じのメロディーになっています。
秀逸すぎる菅セク。ここでもオーボエが大活躍。 菅セクがどの楽章でもリードしまくり。
交響曲を1から4楽章通して聞く際、大抵3楽章にはローテンポの静かな曲が来ることが多いですが、
タイタンの場合はちと違う。もったりしたメロディーが終わったと思えば、
今度は木管にゆるおどけたような軽快なリズムの演奏をもとに、シンバル&ドラム、そして木の乾いた音が粋な、
弦楽器のコルレーニョ(弓の毛と木の部分を弦に叩き付ける奏法)が加わってきます。ズンッチャ、ズンチャッって感じに。
リズム、メロディー、音色共にヴァリエーション豊かでほんとに楽しい楽章です。
この楽章、確か1stヴァイオリンのトップサイドによるSoloがあった。見事な演奏でした。
それに比べてコンサートミストレスは・・・。今回、残念ながら私好みでないコンミスさんでした。
小柄なアジア人女性なのですが、数年前初めてこのオケのコンサートを聞きに来た折もこの人でした。
その時の曲目はドヴォ8(ドヴォルザーク交響曲第8番)でしたが、
第2楽章に出てくる優雅であるはずのソロを、まるで鞭でしばくような感じで弾いていたのを覚えています。
右手(弓)がコンミスの割に荒っぽいというか、音が刺々しいのです。
それに楽器のヘッドがいつも低い。ヘッドアップして弾くとよいところでも、彼女だけいつも低いのです。
特にヴァイオリンのG線を弾いている時その傾向がハッキリと現われます。



第4楽章。 冒頭にはドイツ語でstürmisch(嵐のように)と書かれています。
「タイタンといえばここ!!」と言えるぐらい、とにかく有名な冒頭。弦楽器、特に1stヴァイオリンが荒れ狂って欲しいところ。
まるで物凄い突風が「ドドー!! ヒュルヒュヒュルルー」ってやって来るような感じで・・・。
トレモロに入るところも、ハイポジションで刻むところも、嵐が金切り声をあげるが如くもっともっとガシガシ弾いて欲しかった・・・。
とにかく切れ切れの音、リズムが必要なところなのに、元気のなかった弦楽器さん、見事こけてくれました。
1stヴァイオリン、音に機敏さがなかったから何やってるのかわからなかった。

昔、10年以上ぐらい前かな、フジテレビ系で「それが答えだ」というドラマがありました。
かなり性格に難有りだが世界的なマエストロが、首席指揮者を務めるオーケストラで、団員に演奏をボイコットされます。
その演奏会の練習中、オケの中でも古株のヴァイオリン奏者を「私の指示に従えないのであればやめてください」といって、
練習中にもかかわらず首にしてしまい、それで団員の反感を買ってしまったからでした。
その時練習していたのがまさにこの第4楽章でした。冒頭を聞くと、いつもこのドラマを思い出してしまう・・・。

中盤、弦楽器が持ち直し、冒頭から元気なまんまの管楽器の活躍もあり、かなり安定した演奏になってました。
そして、曲の後半。私がドキドキしながら待ちかまえていた場所がやって来ました。
一旦静かになり、その後ヴィオラが再び来る嵐を警戒するかの如く鳴るところ。格好いいんです。
でも、ちょっと気合いはいりすぎていた・・・。一番低いC線で、たぶんFGA(ファソラ)をSul C、3ポジで弾くんじゃないかな。
確かに一番いい音が鳴るポイントの一つではあるけど、気合い入りすぎて音がビリビリしすぎてノイズが多かった。
弓を根本に引っかけすぎていたのかな。一気にさっと下ろすような感じがいいのかな弾き方は。 

終始菅セクがリードし、フィナーレも物凄く完成度の高い、感動的な演奏になりました。
最後の最後、ホルンパート全員が総立ちになり演奏。フォルテが沢山付くところでベルアップすることはしばしばですが、
立ち上がるというのは初めてみました。 格好良かったー。後半は殆ど金管セクがメインのところですが、
うるさすぎず大人しすぎず理性を保ったままの演奏は、さすがプロだなーって思いました。



総じて、菅セクション、打楽器が物凄い安定した演奏をしてくれていたので、
常に演奏をリードして、弦セクが弱くても質のいい、魅力的な演奏を作ってくれていました。
弦セクは終盤に向かうにつれて徐々にいい音が鳴り始めていましたが、
全般的にマーラーの楽曲演奏そのものに慣れていない感じがしました。手探り状態といいますか・・・。
特にメロディーを担当することが多い1stヴァイオリンにチェロかな。
菅セクに負けじともっと自我が強くてもよかった。

また、マーラーの楽曲を視覚的にも楽しめました。
「あ、ここはこういう風に演奏してるんだ」というが解るのは生演奏では共通して言えることだけど、
特にマーラーの場合、各セクション、パートの演奏形態が様々で見ていて本当に楽しかったです。
変則ディビジが出てきたり、コントラバスのSoloが出てきたり、バンダでの演奏が出てきたり等々。





久し振りのコンサート、とってもよい演奏に巡り会うことが出来ました。大満足!!

2010年9月27日月曜日

孤軍奮闘

そんな雨で客足が鈍り盛り上がらないSalzfestにあって、一人目立っていた人物がいました。
土曜日に訪れた際、久々にHD動画を撮影してみました。




今日訪れた時もこのおじさんが人で頑張っておられました。
天気が悪かったのが本当に残念!!

雨に泣かされる市のイベント


毎年9月最終週の週末は、町でSalzfestが催されます。
Satzfestについてはこのブログでも何度もとりあげていますが、昔盛んだった製塩業にちなむお祭りです。
しかし、一番お客さんで賑わうはずの土日が雨。オマケに寒い・・・。


昨日、ハードディスクを買いに行くついでにマルクトをのぞいてみましたが、閑散としていました。
今日日曜日も雨で、土曜日と変わらない天気でしたが、最終日ということなので再度行ってみることにしました。




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空はどんより曇っています。ヘンデル像周りの芝生もぐちょぐちょ。
天気がよければ、屋台で売ってるお菓子、ポテトフライ、ソーセージを買ってここで食べられるのなー。残念。
飲食用に用意されたテーブルやベンチも雨に濡れて、なんだかもの悲しい雰囲気でした。




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メイン開場であるはずのマルクト西側。ここに本当なら中世のマーケットが軒を連ねるはずですが閑散としています。
去年よりも店舗数は3~4割減ったのではないかと思います。土曜日に開いていたお店も日曜日には閉まっていました。
これだけお客さんが少ないとさすがに採算とれないんだろうな・・・。



ハレ市のもう一つの主要イベントである、8月におこなわれたLaternenfestも雨のために来客減と市政便りにありました。
そして今回のSatzfestも雨にたたられてしまった・・・。市にとっては結構な痛手じゃないかな。


残す市のイベントはクリスマス市のみ。
去年のクリスマス市、規模縮小傾向だったので今年はどうなることやら。
私にとってハレで楽しめる最後のクリスマス市なので、規模縮小なんてならないことを祈りたいです。

2010年9月26日日曜日

外付けHD


土曜日になるとポストが広告類で一杯になります。

広告類の殆どが、翌週におこなわれる売り出し関連のモノばかり。たまにピザのクーポンなんかもあります。
最近特に意識してチェックするようにしているのが、スーパー類の広告に混じって入っている家電量販店の広告です。
前にもひょっとしたら書いたかもしれませんが、6年来使用してきた外付けのポータプルHDが先月壊れました。
もう一台、去年1月に購入した160GBの外付けHDもありますが、何だかんだ溜め込んでいるうちに容量を使い果たし、
最近撮った写真の保管場所に困っていました。特にHD動画は物凄い容量を食うので大変です。


その都度DVD-ROMに焼いていくという手も考えましたが、
私のパソコンは片面用なので焼けるデータの上限は4.7GB。5枚入りだと5×4.7で23,5GB保存できる計算になり、
価格は約4ユーロ。10倍では235GBで40ユーロ、20倍では470GBで80ユーロになります。
今、外付けのHDだと1TBという凄まじい大容量のものでも70~80ユーロほどで手にはいる世の中ですし、
このままDVD-ROMで保存し続けたらどんどん嵩張る一方なので、大容量外付けHDが欲しいなと思っていました。
でも70~80ユーロはちょいと高すぎる。なので、もう少し値段が下がるのをずっと待っていました。



そしてついにお買い得品を見つけました。CnMemoryというドイツ企業の製品で1TBが55ユーロ。約6700円です。
CnMemoryには、去年1月に購入したポータプルHD、そしてメモリスティックと色々お世話になっており、
使用感も全然悪くないので、この1TBの外付けHDの購入を即決しました。
お店もトラムでいけるところ。広告を見つけたのがお昼過ぎでしたが、お店は午後8時までなのですぐに行くことに。




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これが新しい外付けHD。電源はUSB供給ではなくアダプタからとなりますが、コンセントプラグの形状を注意すれば、
対応電圧が100-240Vなので日本でも問題なく使えます。最近のアダプタは殆どワールドワイド対応になってますね。
転送速度もデータの保管程度にしか使わないので全然気にならないし、よい買い物だったなと思います。



これで心おきなく写真をたくさん撮れるー。

蜘蛛

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雲 鳳凰

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雲 鳥

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2010年9月25日土曜日

日本 法治国家の崩壊


尖閣諸島問題、那覇地検が逮捕した船長を処分保留で釈放してしまうという最悪な結末迎えてしまいました。


法治国家が恫喝してくる人知国家に敗北するという前代未聞の結果です。
日本は司法、立法、行政が独立している国。犯罪は日本人であれ外国人であれ、
司法機関で法に則り粛々と裁かれて然りなのに、そこに政治的問題を持ち込み釈放だなんてあり得ません。
それに、こういう治外法権を中国だけに許してしまうと、他国の日本への信頼を損なうどころか、
このような前例のせいで中国人の日本国内及び領海内での不法行為がこれから増え続けると考えられます。


この選択は今後の日本の国益に想像を絶する悪影響を及ぼすと思います。


早速、中国政府から謝罪と賠償の要求が来てる模様。
これまで呑んでしまうと恐らくもう日本の今後はお先真っ暗でしょうね。

2010年9月21日火曜日


変な夢を見ました。

登場人物は私(男)と見たことない女性。
女性の容姿ですが、小柄で顔立ちは可愛らしい感じでいつもニコニコしていました。


夢が始まった場所は私の知らない町。
国道から少し離れた、住宅街の一画。その女性の自宅付近だったのかもしれない。
2人で国道に向けて歩いていたら、突然私が女性を肩車することになりました。
滅茶苦茶重いというわけではなかったけど、持ち上げる時ぐらっとよろめきました。
そのまま国道へどんどん歩いていきました。会話はありましたが、どんな内容かは覚えていない。


国道、というか高速道路が走っているようでした。スロープみたいなのが見えたので、
恐らく降り口か登り口だったのかな。我々の歩く道は幅5メートルほどの道で、進行方向右手は住宅、左手は畑。
高速道路の前まで行って左に曲がる。それ以降のことはあまり覚えていない。
気が付いたら工場にいました。鉄を叩いている人、溶接している人、図面と睨めっこしている人。
その中になぜか中学校時代の同級生がいました。もう何年も連絡とっていません。
中学3年生の時、私は骨折しましたが、その時とても世話になった人です。
彼は我々には全然気付かない。私が「あれ、中学時代の同級生だ」と言うと、
女性が「じゃあ声かけてきたら」と勧めましたが、私は「いや、なんか恥ずかしいしやめとく」と言って彼に近づきませんでした。


工場を一通り見終わったあと、私が疲れたためか肩車を解きました。
女性は降りるやいなや私の手を握って「お腹空いたね、ご飯食べにいこー」と引っ張っていきました。


入ったお店は中華ファミレスっぽい感じ。女性は窓際に座りました。向かい合わせになろうと通路側に座ろうとしましたが、
椅子の具合が悪かったので座れず。仕方ないのでテーブルの横側に座ることに(言いにくいなー)。
女性の椅子の足を見てびっくり。後ろ2本が短く、すぐ後ろに出っ張った石の上にのっかっている。
つまり、前2本と後ろ2本足の長さが違う。


テーブルの上には既に料理が並べられていました。
メインは具だくさんの五目そば。2~3人前はありそうだったので分けて食べるようになっていました。
取り皿も側にありました。五目そば以外にもいくつか美味しそうなサイドメニューがありました。
「正面においでよ」と女性に言われましたが、さっき座ろうとして出来なかったのを思い出し、どうしようか迷いましたが、
もう一度挑戦してみようと椅子を移動させることに。


すると・・・。その椅子は彼女と同じ椅子で、前足よりも後ろ足のほうが短い。
当然そんな椅子に座れるわけなく後ろに転びました。転んでいる時、女性がそばを食べているのが見えました。
転んでいる間、物凄く時間がゆっくり流れていました。そばを食べる女性の姿はまるでスローモーションを見ているようでした。



どたん。椅子から落ちたところで夢が終わりました。




一体何だったのでしょう???

2010年9月17日金曜日

これでいいのか日本?

中国漁船衝突 米、尖閣は日米安保の対象 組織的な事件と警戒 (1/2ページ)

2010.9.16 23:04

【ワシントン=佐々木類】東シナ海の日本固有の領土、沖縄・尖閣諸島近海で起きた中国漁船衝突事件について、米政府は事件は偶発的なものではなく、中国政府黙認の下で起きた「組織的な事件」との見方を強め、中国の動向を警戒している。尖閣諸島は日本の施政下にあり、日米安全保障条約の適用対象との明確な見解をとり、「有事」の際は米軍が対処することを示唆して、強気の姿勢を崩さない中国を牽制(けんせい)している。

米政府の認識と立場は、クローリー国務次官補(広報担当)によって端的に表明された。同氏は8月16日の記者会見で(1)尖閣諸島は日本の施政下にある(2)日米安保条約5条は、日本の施政下にある領域に適用される-との見解を表明。そのうえで「条約が尖閣諸島に適用されるかと問われれば、そうだ」と明言した。

今月14日の記者会見でも、衝突事件に関し「対話による平和的解決を求める」と述べると同時に、「日米同盟はアジアの平和と安定にとって要石だ」と強調した。

米政府は、中国政府部内で尖閣諸島の実効支配が機関決定された可能性があり、「漁船を隠れみのに軍と一体となって、この方針を行動に移している」(日米関係筋)との見方を強めている。衝突事件が「組織的な事件」との認識はこうした見方に基づいている。

同筋は、衝突事件で中国が強気の姿勢をとっている理由について、「中国国内の(日本を批判する)世論への対策ということを超えた行動であり、尖閣諸島の領有化という明確な政府の意思を示したものだ」と警鐘を鳴らす。

また、「民主党代表選という日本の政治空白と、沖縄県の米軍普天間飛行場移設をめぐり日米関係全般が停滞する中、中国は日米の出方を試した」とみる。

中国が「核心的利益」と呼び、自国の内海化を進める南シナ海に目を転じると、インドネシア近海で6月、中国の漁業監視船がインドネシア海軍の艦船に「拿捕(だほ)した中国漁船を解放しなければ砲撃する」と警告し、交戦の一歩手前までいき緊張が高まった。

この事件は、中国が南シナ海や東シナ海で、海軍の退役艦艇を改造した漁業監視船を派遣しつつ、漁船を“先兵”として使っていることを裏付けている。

米軍は昨年3月、米調査船が中国海軍に妨害を受け、護衛のため南シナ海にイージス艦を派遣した。今回の衝突事件における今後の中国側の動向次第では、米政府が「艦船派遣という目に見える形で対中圧力をかける」(元米海軍将校)という可能性も指摘されている。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100917/chn1009170010000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100917/chn1009170010000-n2.htm

 

尖閣諸島関連のニュース、注意深く見守っていましたが、米国の見方が報じられましたね。
「施政下にある」ではなくてハッキリと「日本領である」と言ってくれた方がスッキリするのになー。

尖閣諸島は明らかに日本固有の領土であり、国際的にもこれは認められています。
中国側は、サンフランシスコ講和条約が施行された頃にはなにも言ってこず、
この付近に石油やガスが出ることが明らかになってから突如「自国の領土だ」と言い始めたもので、
理不尽な言いがかりにすぎないのです。


今回、中国は割とマジなようなので、今後の動向が気になります。
北京五輪、上海万博と対外に向けたイメージアップ期間はもうじき終了し、
その後どんどん覇権主義という本当の顔を見せてくるでしょう。

こういう記事も発見しました: http://ameblo.jp/konichiwa/entry-10648536161.html



しかし、日米安保という条約下、有事が発生した場合は米軍が対処するとありますが、 これでいいんでしょうか。
大東亜戦争が終わって65年経った今もなお、日本はれっきとした主権国家であるにもかかわらず、
未だに近隣諸国の脅威を自分で対処できない、この何とも言えない情けない状況、何とかならないものでしょうか。


米国とは同じ民主主義の隣国として、独裁国家で何をしでかすかわからない中朝に対して、 あるいはこれからどんな有事が起こるかわからない東アジアの情勢に対して、 常に連携をとって対処していかねばならないと思います。 しかし、その前に、近隣諸国からの脅威は自国で何とかできる、 つまり日本は日本のやり方で国防を行えるようにしてから、 初めて米国と台頭な隣国間のパートナーシップを築いていかないといけないと思います。 米国様がしてくれなければ、隣国の脅威にただ泣き寝入りするつもりですか。 いつまでも国防を米国頼みにしるのはもうそろそろやめないと、そういう世論が日本国内で高まってこないと、日本はいつまでたっても本当の独立国へなるべく脱皮できないでしょう。


その為には国民がまず日本という国をどうしたいのか、国家理念を明確にして(簡単ではないですが)、 占領軍が無理矢理押しつけた現行憲法を、現行の規定の範囲内で改正もしくは廃止にして(国際法上違法故に)、 国防も何もかも日本人自身の判断で切り盛りできるよう変えていかないといけません。 例えば憲法九条だけを有り難がって、あたかも題目を唱えるが如く「九条、九条」と言っても、 武器を持ってしたたかに攻め入ってくる隣国の脅威になんて対処できません。日本人の命を守る事なんてできません。


いい加減目を覚まさなきゃ、日本人!!

2010年9月15日水曜日

目くそ鼻くその党代表選挙


9月14日はある意味日本の向こう数年間を決定づける重要な日と言えるかもしれません。
そう、メディアでも賑わっていたように、民主党の党代表選挙が行われ、菅直人総理が小沢一郎氏を破り再選を果しました。


しかし、この面子での党代表選挙なんて、結局は「目くそ鼻くその争い」にすぎず、
どちらになっても日本の行く先は暗いままだけど・・・。
彼らがやろうとしていること及びやってきたことを挙げ連ねていけば、ゾッとすることばかりですからね。



菅氏、小沢氏、それぞれが釈然としない疑惑を抱えた方々であり(菅氏は辛光洙問題、小沢氏はお金の問題)、
さらに、日本という国がよくなる事案ではなく、むしろ貶めるような事案に積極的に取り組んでいる方々であります。



例えば外国人地方参政権問題。菅氏はこの議論が出てきた時から先頭を切って推し進めてきた一人。
小沢氏は「外国人参政権付与を現実化させる」と韓国でわざわざ講演までしている。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=123896


民主党には、外国人票を獲得して、長期的な政権運営を実現していこうという魂胆があるのかもしれませんが、
そうなることによって日本という国がどうなるのかまでは考えられないようです。



特亜との関係はどうか。
法的に解決している日韓補償問題を再燃させ、
ますます韓国を増長させてしまうと危惧されている「菅談話」が発表されたのは8月のことなので記憶に新しい。
慰安婦問題やら戦後補償で、あの嘘泣き婆さん達をテレビで見るのにウンザリしている人達は多いはず。
そして、小沢氏といえば、先に述べた韓国での講演会のみならず、中国に対する朝貢ともとれる大訪中団を率いた中共詣で。
その時の会談で小沢氏は自らを「人民解放軍の野戦軍司令官だ」と宣っている。
中共の国家主席に「えらいねー」って頭をナデナデしてもらうために出掛けていったのかな。
さらに、天皇陛下よりも中共の副主席を重んじている。

中共関連では、代表選で民主党内が盛り上がっている最中に事件がありましたね。
尖閣諸島付近で不法操業し、海保の船に体当たりした中国船籍の乗組員達を、
日本の国内法で裁くどころか、中共の恫喝に屈して送還してしまうという体たらく。
こんなことをしてしまうと尖閣諸島が中国領であるということを認めてしまうことになることがわからないのか。



経済面はどうか。
円高の一因と考えられる無策無能な日銀の総裁を更迭もせず、
具体的な策を表明するどころか「注意深く見守る」としか発言しない財務大臣と首相。
一体どんなブレーンがついているのか疑いたくなるぐらい。
雇用問題云々については無策無能。そのくせ、外国人やらには税金をばらまき、財政を圧迫する。



そして切迫する問題として、沖縄普天間基地問題がありますね。
まぁこれは前政権が引っかき回しすぎた(特に鳩山氏)せいでもありますが、
それをじゃあ菅総理が上手く纏められる手腕があるのかどうかといえば・・・。ないでしょうね、きっと。
小沢氏は小沢氏で、辺野古付近に大量に土地を購入し所有している模様。何のため?




こうしてみていくと、この両者、結局内政も外交も、日本のためになるようなことを何一つ考えていない。
日本という一国の大将として両者不適格でしょ。だから目くそ鼻くその争い。
小沢氏が剛腕政治家?それは選挙が上手なだけであって、国政に関しては何の実績もない。
その上、一連の動きから中共に日本を献上したがっているようにも思えます。
中共の庇護の下でリーダーになりたいのかな。



あまり「目くそ鼻くそ」と言い過ぎると品がない上、「向こう数年間、全く希望がない」と悲観的にしか映らないので、
ここいらで本当に全く希望がないのかどうか考えてみたいです。菅氏が再選されたという現実に目を向けてみて・・・。

まぁ、小沢氏よりも菅氏が再選された方が若干希望があるかもしれないですね。
それは明日以降に行われるであろう役員及び閣僚人事次第ですが。
つまり、菅総理が小沢一派をどう扱うか。
もし、小沢一派を排除するようであれば、小沢氏は民主党を分割するかもしれない・・・。
そうなると政界再編は一気に加速すると考えられる。
民主党政権もそうなれば決して安泰とは言えなくなり、再び国民に信を問う総選挙も早めやって来る。



前の衆議院選挙時、「一度やらしてみたら?」と安易に民主党を選んだ有権者達は、
その「一度やらせてみたら」ということが実は大きな過ちであったということをそろそろ実感し、
早急な政権交代、つまり総選挙を望んでるんじゃないかな・・・。勝手な推測ですが。


こんなうまくいくわけないか。
ま、とりあえずは今後の動向を見守っていきますか。

2010年9月13日月曜日

おまけ


週末、ほぼ出ずっぱりで写真ばかり撮っていました。
2日間で500枚ぐらい撮ったかな。いいストレス解消になり、来週からまたしっかり勉学に励めそうです。


今回、先日HD動画用にと購入したFinePix AX200をこの2日間フル稼働させてみましたが、
開放F値がこれまで使ってきたリコー製のカメラやA220に比べて大きいので、
暗いところでの撮影が想像以上に非力だなぁという感想です。A220との併用、しないといけないな。
しかし、A220よりも優れているのはレンズが広角だという点。構図の幅が広くなったような気がします。
広角レンズを支えるという意味でズーム機能の充実も助かります。さらにズーム動作が機敏なのでなおよろし。



撮影中、横でデジイチで、暗所でも早いシャッター速度でぱしゃぱしゃ撮影していたの、すんごく羨ましかった・・・。
デジイチをメインで、サブでAX200だと申し分ないのに・・・。
メイン機としてデジイチをゲットすること、まず先立つものがないから無理だわ。うん、これからの夢だな・・・。



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掲載し忘れていた画像が一枚ありました。Wasserturm で撮影したパノラマ画像です。
これは自画自賛ですが、綺麗に撮れたのではないでしょうか。


さ、また来週、よい週になりますように!!

Tag des offenen Denkmals Landesverwaltungsamt, ehemals Reichsbahndirektion


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中央駅の南側に、1895年に設立されたReichsbahn(今のDBの前身かな)の管理部として用いられていた建物があります。
現在は州のお役所(Landesverwaltungsamt)が入ってるそうです。建てられたのは1902年です。




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建物正面。何というか面構えが堂々としている。上の方に紋章が入りそうなスペースがありますが、
真っ白になっていました。以前はReichsbahnの社章か何かが付いていたのかもしれないですね。



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正面玄関入ったすぐにある階段と壁画。なかなか手の込んだ、荘厳な感じのオブジェですね。
こんな所が役所でいいのか??



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会議室かな。そして、奥にはドイツ国旗とEUの旗が見えます。建物内部にはすごい装飾はありませんでした。



この時点で既に午後3時前でした。
午前10時半頃から回り始めて約4時間。昨日も出ずっぱりだったのでさすがにバテてきました。
大抵の施設は18時まで開いており、この後引き続き町の北西部にも足を運びたかったのですが、
体が「やめておけ」という信号を出していたので帰宅することに。


しかし、Wasserturmといい普段なかなか入れない建物に入ることができて有意義な時間を過ごせました。
やっぱり一人浮いていたのかなー私。参加者の99%はドイツ人だったから・・・。ま、いっか。

Tag des offenen Denkmals Ev. Johanniskirche


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Lutherplatzにほど近い所に、美しい建物を発見したので行ってみることに。Johanniskircheといいます。
ネオゴシック式の建築様式で、19世紀に出来たのだそうです。なおDDR時代は使用されなかったとのこと。




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DDR時代に用いられていなかったということは、さぞかしその期間荒れ果てていたのでしょう。
今は州が中心になって修復作業を進めているのだとか。あ、ここはプロテスタントの教会です。




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美しいステンドグラス。足がガクガクだったので、椅子に腰掛けてしばし休憩しました。
パッヘルベルのカノンやアヴェ・マリア等の音楽がBGMで流れ、あまりに心地よすぎて眠りそうになりました。


いやいや、眠るわけにはいかない。
大通りにでて、路面電車をつかまえ、駅に向かいました。

Tag des offenen Denkmals ポンプ室跡?


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螺旋階段の入口はこのようになっています。これだけ見ればもはやただの展望台ですね、給水塔には見えない。
給水塔に関するグッズの販売なんかがここで行われていてもおかしくない雰囲気。
まぁそれは置いといてと・・・。一通り景色を楽しんだので、またもと来た階段を下りて地上に出ました。




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地上には小さな噴水ぐらいしかなかったのでそろそろ出よっかなーって思っていたら人が行き来する通路発見。
そこには写真のような薄暗い空間が広がっていましたが、どうもかつてここにはポンプ室があったみたい。
別室には最近まで使われていたような工具類が置かれていたし。


一体何段ぐらい階段を登ったんだろうか・・・。
教会やら給水塔やら、くねくねした階段多すぎ。もう、足ガクガクでした。

Tag des offenen Denkmals Brocken


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各方角には「ここから○○が見える」と示されています。写真は丁度ブロッケン山方面らしいが・・・。
これじゃ何も見えないので、さらに望遠を。光学(5倍)とデジタル(6.3倍)をあわせれば約31.5倍の望遠が可能なので。



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うっすらですが、こんもりと盛り上がったものが見えます。ザクセン=アンハルト州にはそんなに高い所はないので、
これはひょっとしたらブロッケン山なのかもしれません。


ズームってすごいな。

Tag des offenen Denkmals 絶景


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天気もよく、塔の上からの眺めはまさに絶景でした。



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メイ一杯望遠で撮影したマルクト教会と赤い塔。丁度ハレの町の中心部ですね。



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さらに向こう側には、私の家の近くにあるパウルス教会も見えました。望遠ってすごいなー。



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なんと、さっき訪れた北側の給水塔を発見。ということは、北からも南の給水塔が見えるのかも。




天気がよく空が澄んでいたので、遙か遠くに興味深いものを発見しました。

Tag des offenen Denkmals 内部


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給水塔内部の様子。既に稼働はしておらず、中心部にあったであろうパイプは取り外されてなくなっていました。
規模は北のそれとは比べものにならないほど巨大。壁づたいにある階段を登り最上階まで進みました。




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最上階へはさらにこのような螺旋階段で登って行かなくてはなりませんでした。狭いの何のって・・・。
登りは人数制限されていましたが、下りはそうではなく、登ってる時に上からどんどん降りてくる人が・・・。
こんな狭い所、子供は年齢制限を設け、乳児を抱いたままで登るのは禁止にしてもよいぐらい。


しかしドイツ人の子供って躾されてるようでされていない。こういった狭い場でもギャーギャーとうるさいです。周りお構いなし。
大人も酷いです。後ろがつかえているのにペチャクチャ喋って立ち止まる。上から降りてくる際も喧しいお喋り。
まさに我がさえよければ他は一切関与しないという国民性をもろに見ることが出来ます。見ていてイライラしますよ、ほんとに。
ギャーギャー騒ぐ子供、一発コツいて黙らせればいいものの。こっちの躾は子供をコツいたりしないと聞いていますが、
人間の子供とはいえ半ば動物と同じなんだから「こういうところでは静かにしなきゃダメ」とコツくのもありだと思いますが。



人間の子供よりもドイツでは犬猫の方がしっかり躾されていたりして。

Tag des offenen Denkmals Wasserturm Süd


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次に訪れたのが、本日2つ目のWasserturmです。町の南側、Lutherplatzという所にあります。
ここを訪れるのも今回が初。Lutherplatzは結構広い広場になっており、今日は小さなお祭りが催されてました。
この給水塔、手元の資料によれば建造は1927年から1928年。高さは45メートルだそうです。
Lutherplatzを中心に増えた住宅の水供給を上手く行うために建てられたみたいです。




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下から見上げてみました。こりゃ結構高いぞ。高所恐怖症のくせに、こういうのを見ると登りたくなるのは悪い癖だ。
というわけで、早速中に入り、沢山の階段を登っててっぺんまで行ってきました。


あ、教会の塔よりは怖くなかった・・・。

Tag des offenen Denkmals 客席


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2階席の様子。館内の写真にありましたが、座席は昔木製でした。今はどこの劇場にでもあるものになってますね。
一度ここに座って観劇してみたいなー。よし、計画立ててみましょうか!!




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2階にも休憩の合間にビールやコーヒーなどを楽しめるラウンジがありました。このフロアはレトロな雰囲気が出てました。
テーブルや椅子、そしてバーのカウンターなども全て木製。いいだろうなー、こんな所でお茶するのって。


3階もありましたが、2階よりも座席のクラスが高い感じがしました。バルコニー沿いに小さなテーブルと椅子二つが置かれ、
軽い食事でもしながら観劇を楽しむようなスペースになっています。


ほんと、帰国までに一度ここで観劇してやる!!

Tag des offenen Denkmals Steintor Varieté


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次に訪れたのが、Wasserturmやシナゴーグから歩いて5分ぐらいのところにあるSteintor Varieté。ミュージックホールです。
このミュージックホール、ドイツで最も古いものだそうで、開場した120年前から今日に至るまで操業を続けているそうです。
出来たのは1898年2月1日。1914年からはオペレッタの劇場としても使用されるようになったのだとか。
DDR時代は改名され、姿も少し変わったのだそうですが、1996年に開場当時の姿に再び改築されたそうです。
あ、写真は3年前に撮影したものを使いました。逆光でなかなかいい写真が撮れなかったために。




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実はこの建物にはいるのは今回が初めて。オペラ劇場、コンサートホール等はほぼ訪れたのですが、ここだけはまだでした。
入って左手に劇場への入口がいくつかあり、さらに幕と幕との間に飲み物なんかを注文できるお店があります。



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建物の奥手には衣類や荷物を預ける場所(Garderobe)があります。劇場等では必ず預けるようになっていますね。




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ホール内に入ってみました。立派な舞台ですね。ここで約110年間色々な名優、歌手達が演じたり歌ったりしてきたんだろうな。




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舞台の上にも上がることが出来ました。係員さんが近づいてきて教えてくれました。ドイツ語、早すぎて訳わからなかった。
舞台の上っていいもんですね。10年以上ぶりぐらいかな、舞台の上に立つのは。なんだかドキドキしてきました。
日本の市民ホールと違い、正面と両サイドに客席がある四角形のホールって、公演が終わったあとの迫力が全然違います。
鳴りやまない拍手にスタンディングオベーション。 そういえば、13年前のカーネギーホールの舞台もそんな感じだったかな。 




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楽屋にも立ち入ることが出来ました。んー、何か劇場、ホールって感じで懐かしい・・・。これまで行われた催しのポスターが、
このように壁一面に貼られています。カーネギーホールでもそうだったな。舞台袖や裏側にこういった感じで色々貼ってあった。
何か本番を待つドキドキ感が思い起こされました。




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楽屋の様子。鏡は役者さんのメイク用なのかも知れませんね。ここで一体どんな名優達が出番を待っていたんだろう。



この後、客席の方に移動してみました。

Tag des offenen Denkmals Synagoge beim alten Jüdischen Friedhof

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Wasserturm Nordの近くに、ユダヤ教の礼拝堂(シナゴーグ)とユダヤ人墓地がありました。前から訪れたかったところです。
Nach der Kircheの時にはプログラムを見落としてしまい訪れることが出来ず。その時は夜だったので、今回の方がよいかな。


この地に出来たのが19世紀後半。その後何度か改築があったみたいです。
現在お墓に眠る方々は650柱だそうです。礼拝堂内部ですが、丁度訪れた時ミサをやっていたようで入れませんでした。


お墓の写真、まずかったかなー。

Tag des offenen Denkmals マンホールの蓋



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Tag des offenen Denkmals 木製パイプ


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Tag des offenen Denkmals 給水ポンプ


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Tag des offenen Denkmals Wasserturm Nord


2010年9月12日、ヨーロッパ全土で Europäischer Tag des offenen Denkmalsというイベントが催されました。
これは普段は一般公開されていない町にある歴史的な建造物等を一般公開するといったものです。
毎年春に行われるMuseumsnachtの昼版というものかな。

こういう催し物は大好きなので、昨日Wettinにいって疲れが残っていましたが参加することに。



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まずは近場から攻めることに。私の住んでいるところから路面電車で約3分ぐらいのところにあるWasserturm。 給水塔です。
産業革命期に各地で建てられたもので、ハレにも南北に巨大なものがそれぞれ一本ずつ建てられています。
しかし、現在それらはもはや機能しておらず、地域の重要なランドマークとして、あるいは博物館として機能しています。




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Wasserturm Nordの内部。給水塔のパイプ部分ですね。このパイプを通って水が供給されていたのでしょうか。
塔の内部をぐるりと囲むように階段がありましたが、残念ながら登ることは出来ませんでした。
資料によれば、塔が建設されたのは1897年から1899年。今から約110年ぐらい前ですね。高さは54メートル。



いつもは路面電車で横を素通りするだけなので、今回中にはいることが出来て嬉しかったー。

2010年9月12日日曜日

Burgfest in Wettin 帰路


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一通り見終えたので、午後4時30分頃バス停に向かいました。Wettin, Postにバスが到着するのは午後4時45分でした。
帰りも同じく小型バス。行きと同じですぐに満席になりました。そしてガタゴトゆられること1時間、無事ハレに到着。


WettinのBurgfestですが、観光客向けというよりもむしろ地元民向けだったのかな。
でも、人が多すぎるというわけでもなかったので、じっくりノンビリ色々見て回ることが出来ました。
Wettin行きはこの日が最後かな。冬場はもうないかな。


でもまたいつの日か訪れられるといいなー。

Burgfest in Wettin 猫



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Burgfest in Wettin 鳥


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