東照宮にいたのは2時間ほど。次の電車の時間もあったのでノンビリできませんでした。
再び2キロちょっとの道のりを歩いて東武日光駅に戻りました。
駅前を散策していなかったので、電車の時間までぶらぶら歩いてみることに。
ついでにお土産も揃えました。会社にはトチオトメのお菓子。家には湯波まんじゅうを。
トチオトメのお菓子を買ったお店にいた可愛らしい看板にゃんこ。気持ち良さそうに眠っていました。
まさにこれぞリアル眠り猫。その愛くるしさからお客さんをたくさん呼び込んでくれるのだとか。
そのお隣のお店で見つけたのがゆばまんじゅう。さらにそれを揚げた揚げゆばまんじゅうなるものもありました。
こしあんが入っており、揚げたてはお塩を少し振っていただきます。甘さが押さえられなかなか美味しかった。
この後、12時56分発の区間快速浅草行きで東京に戻りました。
この電車は先ほどのとは違い、東武動物公園までなんと各駅停車になります。
よって浅草までの所要時間は2時間半。
栃木駅を出発後、一人の老人が席を探して私のいる車両にやってきました。
「この席はどこですかね」と切符を見せて訊ねてこられたので見てみると特急のものでした。
14時7分に栃木駅から出発する特急に乗るはずだったのが、区間快速に乗ってしまったのです。
その後相席となり、色々とお話しすることになりました。
お年を聞けば何と98歳!!
私も年齢を聞かれ答えると「いやぁ、あなた位の年まで私は軍人をしてましてね」とのこと。
さらに話を聞くと、戦前入隊したのが満州事変の頃。その後、第一次上海事変、第一次南京攻略、
徐州の戦いに従軍し、さらに満州にわたりノモンハン事件に巻き込まれたとのこと。
しかしソ連軍に捕虜にされ、シベリアに抑留された後帰国。1941年に再び招集され、
次も満州に渡り、1945年8月8日に日ソ中立条約を破って進行してきたソ連軍と戦ったとのこと。
しかし関東軍は壊滅。3年後ようやく舞鶴に復員できたそうです。
生き残っているのは自分一人で、戦友も学校時代の同級生も皆死んじゃっていないとのことです。
上海事変のお話や、南京攻略時に国民党軍が便衣兵になり民間人になりすましたので攻撃に苦労した話。
ノモンハン事件では、ノモンハンは辺り一面だだっ広い草原だったこと。
近くに流れていた川に手榴弾を投げ込んでは魚を捕ったり。
ソ連軍の戦車は巨大で強く、日本兵は両掌ほどの弾薬しかなくとてもじゃないけど勝てなかったこと。
シベリア捕虜時代には僅かな食料で、朝から晩まで延々森で木の伐採に携わっていたことなどなど、
今では殆どお目にかかることができない戦中の生き証人のお話はどれも面白い内容でした。
滑舌もよく、とても100歳近い人には思えない位。
お話はどんどん続き、復員後は栃木で商売を始め、暫くして三菱製の三輪自動車を購入したとか、
それまでは埼玉県の春日部まで栃木から自転車で商売しにでかけたとか、
12時間かけて青森まで商売に出かけた等々、半生を語ってくれました。
今は横浜にいる娘さんのところで暮らしておられるそうで、
88歳まで現役で商売人していたとのこと。「大便、小便垂れ流してまで人の世話になりたくない」と、
老人ホームで過ごすのは嫌だとのこと。なので、今でも動けるうちは電車に乗ったりして、
あちこち出掛けられているそうです。電車の切符も娘さんが用意してくれたものだそうで、
「電車間違ったなんて言ったらまた怒られるわ〜。まぁ、仕方ないよね」と。
30代前半まで軍隊で兵隊としてお国のために仕事をされ、
その後焼け野原となった日本に戻られ、今の今まで一生懸命に生きてこられた人のお話。
ちょうど復員された時と今の私の年齢が同じ。
時代背景が現代とは違うけど、いろいろ考えさせられました。
友人は27日に日本を去ります。
次ぎ会えるのは1年半か2年後ぐらいになるみたい。