ヴィッテンベルクからロスラウまでは乗換なしで移動できます。所要時間は30分ぐらい。
時間は午後4時少し前で、外は薄暗くなりかけていました。この区間はDDR時代に工業地帯として栄えたそうで、
窓から見える景色は旧国営工場の建物の廃墟ばかりでした。
しかし、中にはDDR時代から引き続き操業している工場もあり、
それらの工場の付近には、そこで働く人達が住んでいると思われる集落が幾つか見えました。
友人曰く、郊外の田舎町には、今ではこういった工場勤務者の家か老人ホームしかないとのこと。
途中、大きな鉄道貨物基地跡も見えました。ベルリンとハレ・ライプツィヒの中間故に、
DDR時代に大きな貨物基地が作られたのだそうです。
今は殆どの線路が剥がされ、広い原っぱになっています。雪に埋もれて何も見えませんでしたが・・・。
ロスラウ駅に電車が入る少し前「あ、あそこが僕が昔住んでいたところ」と友人が昔の家の場所を教えてくれました。
子供の頃、部屋の窓から鉄道が見えたそうです。今の家には数年前に引っ越してきたのだとか。
友人のおばあさんは昔ロスラウ駅でDDRのドイツ国営鉄道(DR)の職員として働いていたそうです。
午後5時ぐらいに友人宅に戻る予定(おばあさんがその頃戻られるため)だったのですが、
少し早く着いたので駅付近を散策することに。駅からほんの数メートルのところにエルベ川が見えるので、
その風景を眺めながら友人にロスラウについて色々説明してもらいました。
先程少し書きましたが、古くからこの町は造船業が盛んで、DDR時代には国営造船工場が作られ大変賑わっていたそうです。
しかし、ドイツ再統一後国営工場は閉鎖。人々は職を求めて西側に移り、ロスラウは急激に寂れてしまいます。
この20年間で町の小売店は殆ど姿を消し、子供の数も減ったので高校もデッサウに移るなどしているそうで、
町に住む人の殆どはDDR時代に国営工場で働いていた年金生活者ばかりだとのことです。
友人宅に向かう途中で、友人のおばあさんと合流し、3人で家に向かいました。
友人とおばあさんが住むお家は5階建ての集合住宅。DDR時代の建築物で70年代に建てられたものだそうです。
5階というのには意味があります。DDRの70年代は建築資材、特に鉄骨や石油製品が不足していたそうで、
建物の高さが制限されたのだそうです。最近になって内装のリニューアルがおこなわれ、
窓枠も木製だったのがプラスチック製やアルミ製に変えられたそうです。
寒い中うろうろしていたので、温かいコーヒーと美味しいクッキーでもてなしてくださいました。
そして午後7時頃夕食が始まりました。前菜が卵とアスパラガスのスープ、メインディッシュは鴨の腿のハーブ焼きでした。
付け合わせは茹でジャガイモにロートコール(赤キャベツ)にグリーンコール(緑キャベツ)。典型的なドイツの食事です。
鴨ロースは脂っぽくないけどお肉はジューシーで、あまりに美味しかったので食事中ずっと無言ゆっくりゆっくり頂きました。
料理だけでなくお皿も素敵でした。エンジ色に様々な花が描かれているもので、
食べ終わった後はしばしお皿を眺めていたほど。友人に「お皿綺麗ねー。凄く綺麗」って言ったら、
「いや、そうかな?いつも使ってるからあまり気にならないけど」と素っ気ない返事。
「お代りあるからね」と誘われるがままにお肉をもう一つ頂いちゃいました。
寒いところにずっといたので、この日の晩はずっと鼻水が止まらず、よく眠れませんでした。
さらに、カメラが入った重い鞄を右肩にかけて移動していたので肩が凝り、右奥歯がじんじん痛みました。
「やばい、虫歯かな」と心配しましたが、次の日の朝起きてしばらくしたら痛みはおさまってくれました。
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