2010年12月23日木曜日

悪天候の中での移動


20日から22日までドイツ人の友人宅(実家)にお邪魔していました。
彼のお家は、ハレと同じザクセン=アンハルト州にあるデッサウ・ロスラウ市にあります。


もともとはデッサウとロスラウという2つの町が別々に存在しましたが、2007年7月1日より統合し現在の市名になりました。

デッサウ及びロスラウがある地域には昔アンハルト公国(古くはアンハルト候領)があり、デッサウは首都でした。
アンハルト公国は第一次大戦後のドイツ革命時まで存続したドイツ最後の公国です。

今日、デッサウには現代芸術に大きな影響を与えたバウハウス美術学校があることで有名な町です。



一方、ロスラウはエルベ河畔にある町で、DDR時代まではドイツ屈指の造船の町でした。
ドイツ再統一後は造船事業をデュッセルドルフやビーレフェルトの会社が買い取り、他のDDRの町と同様に衰退しました。



先週末m欧州の交通は雪のために完全な麻痺状態に陥りました。

飛行機は飛ばない、電車は走らない、高速道路では事故だらけと、大変な事態が数日間続きましたが、

20日もまだその混乱の真っ只中で、移動時にもその混乱の影響をもろに受けました。

9時15分発の電車に乗ろうと駅に行ったら、ホームに電車が止まっており乗ることは出来たのですが数分後に運行休止決定。

ヴィッテンベルク行きの電車で、ビッターフェルトという町で一度乗り換えなければなりませんでした。

MP3プレーヤーに付いてるFMラジオでザクセン=アンハルト州の交通事情をチェックしながら駅内をウロウロ。

ロスラウまでのもう一つ別の行き方を試すべく違うホーム移動し、そこに止まってる電車に乗りましたが出発しない・・・。

時刻表を確認するために駅構内に戻ろうと階段を下りていたら「ヴィッテンベルク行き6番線」というアナウンスが聞こえました。

運行休止になったはずの電車が20分遅れで急きょ運行することになりました。 とりあえずラッキー。

電車が動き出したのは9時40分。20分遅れどころではない。25分遅れでしたが。




ビッターフェルト駅でデッサウ行きの電車は、ライプツィヒとハレ方面から来る電車と時間調整します。

この滅茶苦茶なダイヤの中、はしてデッサウ行きの電車が待ってくれているのかどうか凄く不安でした。

そこで乗車券を確認しに来たDBの職員さんに聞いてみることに。10時28分にデッサウ行きの電車があるとのこと。 一安心。

10時20分にビッターフェルト到着。ホーム変更があったものの、デッサウ行きの電車はちゃんと待ってくれていました。

電車に乗り込んだ後しばらくして車内アナウンスがありました。「この電車、いつ出発するかわかりません」とのこと。

何ともまぁふざけたアナウンスですが、車内では「まぁ、仕方ないか」という感じで笑い声が起きていました。

しかし、そのアナウンスの数分後、電車がゆっくり動き出しました。



デッサウ駅に到着したのが40分後。またアナウンスがありましたが、音質が悪くて聞き取れませんでした。

デッサウが終着駅と思っていましたが、電車の中にはまだ数名お客さんが残っていました。 時間は午前10時50分過ぎ。

電車を降りて時刻表を見ても、既に遅れまくってるので役に立たず。行先案内ボードにも何も示されていませんでした。

どうなるのかよくわからなかったので、先頭車両あたりに集まっていた職員さんに聞いてみることに。

「ロスラウに行くのですか」と訊ねると「ロスラウ、コスビッヒ経由のヴィッテンベルク行き」と教えてくれました。

午前10時58分、電車はロスラウに向けてゆっくり動き始めました。そして午前11時5分にロスラウ到着。

ビッターフェルトを出発した後、SMSで友人に大体の到着時間を伝えていたので迎えに来てくれていました。

しかし、 友人は電車のドアが開くやいなや乗り込んできました。



20日はロスラウからそう遠くないヴィッテンベルクのクリスマス市に行くという予定になっていました。

時刻表どおりに電車が来ていたら、10時17分にロスラウに着いたら、まず友人宅に荷物を置き、少しゆっくり過ごして、

正午過ぎにヴィッテンベルクに行くという予定でした。しかし、合計40分以上遅れてしまったので、

その予定を急遽変更して、荷物を持ったままヴィッテンベルクに行くことになりました。



20日はヴィッテンベルク、21日はデッサウ、そして最終日はロスラウと私のために友人はプランを立ててくれていました。

まずはヴィッテンベルクの旅。私にとって訪れるのは今回で4度目です。

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