2011年2月27日日曜日

ヒトラー展 in Berlin


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ベルリンで開催されているヒトラー展に行ってきました。
昨年10月に始まり、ナチス総統アドルフ・ヒトラーを単独で取上げる展覧会としてドイツ国内外で話題になっていました。
本当は今月上旬で終りだったのが大好評のため今月27日まで会期が延長されました。

展覧会のテーマは「ヒトラーとドイツ人 民族共同体と犯罪」というものです。


会場であるドイツ歴史博物館が開くのは午前10時。
ハレを午前6時頃出発し、ベルリンに着いたのが午前9時過ぎ。 10時前に博物館到着したけどアクシデント発生。
ベルリン中央駅についたすぐトイレに入ったのですが、そこにカメラを置き忘れてしまったのです。
気が付いたのは博物館前のバス停に到着直後。すぐに駅に戻ることに。
幸いなことに清掃員さんが保管してくれており事なきを得ました。


展覧会が始まった10月以来、常に入場待ちの長蛇の列が出来ていたそうですが、
開場直後に入れたせいか、まだ人の姿はまばらで、すんなりと当日券も買え中に入ることが出来ました。


先程も述べましたが、ヒトラーという人物を単独で取り扱う展覧会は今回が初なのだとか。 ナチス賛美につながりかねないということでこれまでタブー視されて避けられたみたいです。 そのため、国内外のメディアでも賛否両論があったみたいですが、今のところ極右勢力が大歓迎してるということはないみたいです。


展覧会場は5~6つのセクションにわかれており、ヒトラーの台頭からナチスの終焉までが説明されていました。 ナチス時代のヒトラーを賛美する宣伝広告やナチスの軍服、収容所送りになった人々の衣服等々が展示されていましたが、以前読んだ新聞記事によると、ヒトラー自身が身にまとっていた制服等は極右の崇拝の対象となるため展示が見送られたそうです。


ヒトラーは第一次世界大戦で憔悴しきったドイツ国民の心理を上手く利用してナチスを宣伝し、選挙による合法的手段で国家社会主義ドイツ労働者党(NSDP)を第一党に押しあげ、悲惨なまでに壊滅状態だった国内の経済状況を復興させていきました。しかしドイツ国民を元気にする一方で、ナチスに楯突き脅かす勢力や政敵、例えば共産主義者や社会主義者を粛清し、そしてユダヤ人を迫害しました。 さらに泥沼の第二次世界大戦へとドイツを駆り出し敗戦・・・。


当時の国民が一体ヒトラーという人物をどの様に見ていたのか。第一次世界大戦でボロボロにされたゲルマン民族の尊厳を復活させるプロセスにおいて、 多少は強引な部分はあったにせよ、ヒトラーという人物の手腕にドイツ国民は国の命運を託していたのではないかというのが、遊説中のヒトラーを歓喜で迎える人々の表情、老若男女がヒトラーに国民が宛てた手紙などから感じることが出来ました。


しかし、これほどの輝かしい復興をリードした(独裁的ではあるけど)ヒトラーとナチスが、なぜ極端な人種差別的と見なされうる暴挙に走ったのでしょうか。本展覧会のテーマに「民族共同体」というキーワードが含まれていますが、歴史学者達に「この概念のシステムは受け入れと排除の両方の原理によって成り立っていた。根本にあるのは人種差別的な思考であった」と説明しているようです。しかし本当に人種差別的な思考が根底にあったのでしょうか。


何故ヒトラーが、ナチスが、ドイツ人がユダヤ人迫害へと走ったかについては、もっと中立的視点からの考察を待たねばなりません。なぜならナチス(ヒトラー)の犯罪行為=ユダヤ人迫害=完全悪というスタートラインから常に議論が始まっている感がするからです。なぜそこまで一連の行為を「絶対悪」と見なさなければならないのか。ユダヤの問題を扱うのに、こんな簡単な構図では説明できるはずはないからです。私のような素人目にもそれぐらいは何となくわかります。


ナチ関連の展覧会もっぱらその負の部分が強調されてきましたが、今回の展覧会では、ヒトラーとドイツ国民が歩んできた「明と暗の道」をある程度均等に描き出していたのではないかと思います。これまで欧州でタブー視されていたヒトラーをテーマにした今回の展覧会は、これからナチスとヒトラーについてもっと多角的な議論を始める一つの切っ掛けになればなぁと思います。

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